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2010年04月04日
いわば、、なんというか、、

一見ムダのような作業をゆったりできる時間の捻出は
大事なような気がする。


今の学校はわからないが、
僕のころは、結局、国語 算数 理科 社会 英語

といった基本の五教科、、の成績が大切だった。

評価として、そして、進学に。。


生活の中の必須アイテムとして、

当然、衣食住に関わるものが重要科目だろう。
そして、

健康にかかわる事、見た目、、美容にかかわることもかかわるだろう。

なんといっても、あとは、食に象徴されるかもしれないが、収入。

そういった、大切な基本科目があるが、、

それに、、人は自分の重要感を、認識したいこともはいってきて、、

あくせくあくせく、、、人は?

日本人は?かもしれない。

どうして、、いつもいつも追いかけるようになってしまったんだろうか?


もっともっとと。。。


自分が生きていて嬉しかったり、
感動したり、
死ぬときに、ああ、いい人生だったと感謝できるものって、、

実は、その、基本科目じゃないように思う。

生活基本科目じゃない場所が、本当に幸福感を感じるものだとしたならば、、
それ以外の部分を楽しんだり夢中になったり、、する時間、

つまり、、人からは何のためにそんな無駄なことに、、といわれるようなことこそ、
大切にしたほうがいいように思う。




2010年04月01日

女心は秋の空

男心は春の空

というのがあるんだそうです。


だいぶ前にヒーリングを受けに来られたクライアントさんに教わりました。


ある方から、

「加藤様も暖かくなったり寒くなったりしておりますのでお気をつけくださいね。」

というメールを受け取ってふと思い出した。

おいおい、、

僕の人格なんでわかるんだ?(笑)

って、おもしろかったけど、
これは、温度の変化が激しいから風邪を引かないでね、という意味だった。


暖かいと思ったら急に寒くなったり、曇り空から冷たい雨を降らせたり、
はたまた、、とんでもない突風の日なんかがあったりするのが、、



男は、そんなふうに、人騒がせな感情の乱れを起こすものだそうだ。

ただ、暖かい日が長く続くことはないというのは残念ですが、
機嫌が悪かったとしても、ある一定時間たてば暖かく戻ったりするのが男でもあるので、

男が悪天候のときに、、
論理で正論で攻め立てるより、、ほっといて、、
暖かい日差しが来るのをただ待ったほうがいいようである。


女心をどう扱うかというと、、、、

それがわかれば、苦労はないですよ。。。まったく(爆笑)

そのへんの講義は、女性の方にお任せします。

わかるわけがないんです。


ただ、男女も分かり合おうなんてしないで、

わかるはずがないもの、という前提でうまいこと、お付き合いしていくといいのかもしれませんね。


そういえば、、

運動大切って話しがありまして、

さっき電話で言われたんですが、、


運動ってどう書くか知っている?
といわれ、

運び、動かす

と答えた僕は正解じゃなくて、、


運を動かす

ものなんだということで、、


これもまた、あったりまえだけど、

理屈やスピリチュアルワークや格言やなんかだけでなく、、

運動することは大事なんだそうだ。

そりゃそうだ。

運動していると気分がいい。
2010年03月29日
桜が咲いてきた。

桜というのはやはりいいものだ。


平常心ということが大事だというのはよく言われるけれど
なかなか難しいものである。

うまくいかなくても凹まない、、これは、みんなよく心がけるから知っている。

けど、うまくいったからといって有頂天になってハイになり過ぎないってのもあるように思う。

というのは、

やったぁ~~、大成功、、

と思っているかもしれないが、実際は、ほんとの大成功のためのステップに過ぎず大事なときかもしれないし、

ほんとは、本来もっと大成功するはずだったのにしくじって
このレベルの成功にとどまっているだけかもしれないからだ。

でも、、

仲間と協力して、何かをみんなで成し遂げたとき、、

なにがどうでも、有頂天になって、ワイワイ狂乱乱舞する一日があってもいいと思う。

それは、許可する(笑)

桜の季節に花見しながらそれをするのもいいけど、

桜の季節、、寒いんだよね。。

夏にそれはやりましょうね~~。
2010年03月20日

ありがとうございます。。

と、買った時、、言ってしまう。

本当にそう思うから。


やっかいなのは、、

お金は、物々交換をよりスムースにするために
あるだけなんだけど、、

お金を特別なものだと思ったり、
お金が物より価値があると思ってしまうことがあるからなんだと思う。


お互いの持っているものをお互いのために交換する
その交換が出来たんだから、、

お互いにありがたいことですよね。


そこ、普通にそう感じる。

だから、

買ったときも、売ったときに、等しくありがたいと思うわけなんです。


子供のころ、親は運転免許証を持っていなかったから、

よく、タクシーで出かけた。

車ないわけだから、、ありがたいんですよね。。。

親が普通に降りるときに

お世話になりました、ありがとうございました。

といっていたから、

ありがたい、、

と、お金払ったときもいつも思う習慣が自然についていたような気がする。


で、、大人になって理屈で考えてみても

そう思うわけなんです。


等価交換が出来ている場合は、
その交換サイクルは頻繁なり、、そして、発展していく。

だから余計ありがたい。


実際よりも安く買えると買う側はありがたいと思うけど、
当然持続はしない。

逆に実際よりも高く売れるとありがたいと思うかもしれないけど、
それも当然持続しない。。。


感謝に満ちた、等価交換が万事において一番よいんじゃないかと思う。
2010年03月16日
真似されたら
気分よい人はあまりいないだろう

ただ
真似されるのは
それが良いものだと思われた時だけだから

真似もされないものは良いものではないと思う

真似をしたり
人を利用しようと考えてアクセクやりながらいるより

真似をされたり
利用しようと思われていたほうが
遙かに幸せだと思う。

ペンデュラム教室をはじめて5年

次々にペンデュラム教室はやる人がでてる

ありがたいじゃないか。
僕の指導方法を真似してくれる方もいる。

僕の理念も真似してくれたらさらにありがたい。

実社会でよりより変化が起きてこそのヒーリング、、、というこだわり、、です。


僕らは、
どんどん手のうちを見せて
真似されてけばよい

こちらは
負けないために
日々頑張り
さらに上を
さらにお役にたてるものをと切磋琢磨することになる

真似した側が優れていたら
本物は逆になる

だから負けられないからがんばる

そういった
みんなの努力が
結果的に

社会の役にたつことになると
僕は信じる。
2010年03月10日

インドにもレイキマスターたちがいます。

そのへんのことは、皆さんもご存知かと思います。

そして、世界への有力なペンデュラムやワンドの供給国のインドでは、

当然、レイキマスターがペンデュラムやワンドを使うしまた、
生徒たちに使い方を教えています。


ただ、レイキといっても、、アメリカンレイキがベースになっているようです。


日本のヒーラーとして私たちに、ヒーリングの指導をして欲しいという
申し入れが、、インド側から出てきています。

ICHA軍団(笑)で、今年は、指導に行ってあげようかと思っています。

というか、、

こちらが教えることもあるし、こちらが学ぶこともある。。

そんな意味では、交流ということになるのだと思います。


フランス、イタリア、ドイツ、イギリス、こういった国にもインドの
クリスタルヒーリングツールはたくさん送られています。

今年は、各国のヒーラーが手を繋ぐとしだと思います。

そんな動きがバンバン出ています。

ぜひ、日本でヒーリングをしている仲間がそれに加わってくれて、、

日本の癒しを教えてあげる、、

つまり、、アメリカ、イギリス、、、から教わってばかりだったと思います。。

だから、、お返しに教えてあげるっていうこと、、そろそろやっていいころかと思うんです。


みんなで、なんかやりましょうね♪
2010年02月26日

どうも死んだ父は、本を読むことが好きだったらしい。

彼の書斎にあった、たくさんの文学集、
あれは、父が買い集めたものだと思っていた。

だが、それは、若くしてなくなった母が買い集めたものだと、
昨日知った。

まさに、昨日知った。。

亡くなって、何年もたって長男の僕がそれを知らなかったなんて。。

その文集は、父の部屋のトレードマークのようなものだった。

僕は、小説家になりたかった父が、他人の書いた本読み漁ってどうする、、
と、半場軽蔑気味に、その文学集を眺め、
その本を開けることはなかった。

その本だけは、、、家を取り壊しても保存されていて、、

妻の手に移っていて、妻がその本を読み出している。


昨日、一番下の娘が学校から帰ると
急いで、、彼女が買ったばかりの本を
開いて読み始めていた。

ぼくの好きな、ミヒャエルエンデ、、だった。

ただ、一心不乱にその本を読む娘の姿を見ているのは、

とても、嬉しいような、心地よいような感じがした。


思えば、初めてオーラを見たのは、

そんなときの彼女の周りに大きく広がるみどりの光だった。

それからしばらくすると、、

オーラの話をすると、、

前世を次々と言い当てることが義務的に要求され(汗)
そんなことを言うのはやめていた。

そう、オーラの泉というテレビバング無我はやりだしていたころ。


前世の話は、時々出るが、

あえて、必要があって、その記憶をわざと自分の意志で消し去って
現世に降りてきているのに、
それを、思い出そうと必死になるのはおかしいことである。

現世の修行の妨げになるだけである。

ただし、、

現世のするべきテーマとリンクする前世の体験は自然と沸きあがり、
そして、現世の役割を果たすためのヒント、
つまり、見えない角度から見るべき物を見る助けとなる。

その助けをするのが、前世療法となる。

おもしろいのは、、ひとつのやるべきことが、成し遂げられると、

あの、前世は、前世だと思ったけど勘違いだった

と、言い出すことだ。

つまり、、それが終わると、、違うテーマに向かうからそんな風に感じるわけである。


そういった、魂のかかわりやつながり、、これは、、不思議なものだが、、

示し合わせたわけでもなく、、

自然に繋がり、自然に同じ空気を持つ、、そんな光景を見ていると

なんとも、、幸せな気分になる。




2010年02月20日

そんなひとは、他にもいるんだろうけど、、

理由を考えてしまう。

植物栽培は、好きだが、あるとき
ふと、考え出してしまったことがある。

こんな鉢にのなかに押し込められて
植物は幸せなんだろうか?

と。

いろいろ考えた挙句、

実際の自然の中では、生きていくことはかなり大変で、
たくさんの中で、調度条件のよいところに根付いたものだけが生きるが、

鉢で狭いけど、
毎日毎日大切に世話をしてあげるという恩恵を得られる代わりに、、
ちょっと、狭い、、ということを勘弁してもらうということで、
気持ちに折り合いがついた。


石については、非常に困った。

石は本来その国のその山のその場所にただあるべきではないか、、という
昔からの考えがあるからだ。

石は山にあるべきであった

なぜ
人の欲を利用してまで
掘り出させ
山を降ろさせ

人の手に渡るようにし向けられたか

わからなかった

今は一つの
推測がぼくにはある

今の人間の考えること、していること、、
かなり間違っていて緊急事態であり、、気づきを促す必要がある。


石を手渡す人
受け取る人の
表面上の思いはともかく


人に自然からの
メッセージをバイブレーションで伝えるために
石は来たのではないかと

そう思う。

地球の、、宇宙の、、調和されたエネルギーを感じること。
石の声を聞かせるために、人を利用して、
人にそれを手渡すようにしているんじゃないかと、、
地球が。。

そう思ってみると、本当にそうなんじゃないかと思えてくる。
そうなのかもしれない。

だからこそ、、石の声を聞き、
それを、そのアドバイスを
日々の思う事、話すこと、行動することに生かすことが大事なんだと思う。

それが、まさに、クリスタルヒーリングなんじゃないかと思う。

石の力でやるべき人としての努力もしないで
棚ぼたで、恩恵を得ようとする、、というのは、
石とかかわる動機としては、否定しないが、
前述のことをさせたくて、、

石はわざわざ、山から降りてきてくれているように思う。
2010年02月16日
昨年、公園の水仙に

固形の肥料を施しておいたら、、今年は元気よく花を咲かせている。

そして、

スノーフレークが
つくしが顔を出すころに咲き出すはずだ。

さて、液体肥料でもあげておこうか


そして、スノーフレークが咲くと、公園の桜が咲き、春になる。


春、というには、寒い日が続くが、
もう、、気持ちは春に向かっている。

2010年02月12日
3年間、忙しくて全く運動できていなかったのだけれど

ジムトレーニングを再開してみた。

といっても、だいぶブランクがあるので、、

ゆっくりゆっくり、、再開というわけで、、

二回ほど行ってみた。

二日連続。


何も語らずに無口に淡々とトレーニングするのは、
それはそれで、、瞑想する?
みたいなもんで、、なんとも、、いいものである。

ただ、、調子に乗って、無理をしたりするといけないので、、

ゆっくりゆっくりいこうかと思う。

久しぶりの筋肉痛が、なんとも、気持ちがいい。


なんといいますか、、ジムトレーニングを淡々とするというのは、、

特別に目的がないことに

ただ、がんばるのは、なんというか、、面白いものだ。


だいたいにして、、

いつもいつも、僕らは、目的や目標や意味を求めようとしているけれど、
本来、そんな物は必要がないのかもしれない。

2010年02月08日

なぜなのか、、車で外に出かける前の身支度の雰囲気がわかるらしい。

愛犬ティオは、連れて行って、、と、、そわそわしだす。

といっても、、銀行に行ったりするくらいで、

特にこれといって彼女にとって楽しいことはないはずなのに、、

いつもいつも、一緒にお出かけをしたがる。

車で移動して、、そして、、用事を済ます間、車で待っているだけなのに。


それでも楽しそうにする彼女、、、

彼女が遊びまわるために、海にでも連れて行ってあげようかな、
暖かい日に。
2010年01月22日

筋といっても、、筋肉ではなく、、

スジ、、道理みたいなのがあって、

よく、筋が通ってない、、なんていいます。

論理的な整合性、あるいは社会通念上の正当性、、

あるいは、、倫理的道徳的な妥当性、、

をいうのかもしれません。


スジ通ってない、、

というのは、、そんな硬い表現より、

そいつぁ~~ちょっと、おかしいんでないかぁ

納得いかねぇ

ということなんだと思う。


でも、実際、世の中は、筋が通らないことのほうが多いのかもしれない。

ひとつの方向に向かって一直線に細く長くそして、それらが束になっていて
なんて、、筋は、、なかなか、ないであろう。

だから、、

たぶん、

筋が通らなかったことに気がついたら、、

その時点で最善の努力をして、筋が通っている上体に近づけようと努力することなんじゃないかと思う。

そうなると、、同じ筋を持っている人もあつまってきて、、
自然にくっついてパワーが出る。

気持ちよいパワーだ。

調和のエネルギー。


でも、筋が通ってないことをきがついても
ばつが悪いから、、
あれやこれやの言い訳三昧、、、
となると、、

どうもその、、調和のパワーから離れてしまうようだ。


でも、だって、しょうがない、、、という、、
あり地獄におちる。


まぁ、ヒーリングの仕事をしていると、いろいろなケースに出くわすが、、

意識というのは一瞬で変わりそれにより、生活が一瞬で変わることも多々あるが、
どうにもこうにも、、意識というのは変わらない、、という、頑固さも経験する。

人間というのは、本当に面白い生き物だ。


デフレの不景気環境だと、
基本的に物があふれていることになり、
安くて良い物なんていくらでも手に入る、、、

となると、、

仕事の環境でも、ポイントは、、

物と物の交流の間に入る人間そのもの、、になっていくようにおもう。


パリにいる友人のヒーラーが、、
これは、浄化なんだ、ということをいってきた。

たしかに、、いろんなごみだしが起こるだろう。

という意味では、定期的に不景気も起こってくれないと
心を見つめるチャンスもないわけで、、

ありがたいとは言いがたいが、、不景気も必要なのかもしれない。
2010年01月13日

ありのままの現実を見る。

これは、一見簡単そうだ。

社会がありのままの現実を起こしてくれているわけだから、

それをただ見たらいい。

お金もかからない。

時間もかからない。


はず、、、


だが、それが難しいというわけです。


2010年01月09日

祖父と一緒に、、
祖父が退職後、毎日自転車で通い続けたテニスコート
その近くでみんなで食事したときに、

僕に35歳の僕にアドバイスしたのは、

「気をつけろ、70歳をすぎると急に足が動かなくなるぞ」

だった。

は、、はい??

であった。


引っ込み思案で友達がいない幼少の僕の遊び相手は、祖父であった。

家の前の道路で彼とテニスのラリーをすることは、僕の遊びであった。


最後に彼とテニスしたのは、100歳大会の、ダブルスペア合計120歳以上のクラスだった。

彼は、すっかり足が動かなっていた。転倒もしてしまっていた。

試合は全て、、負けてしまった。

そして、、その最後の試合に対戦したのは、
地元のケーキ屋さんのペア。

おもしろいのが、、むすめが彼の店でバイトを始めていた。


家に帰ってきて、
「ケーキ屋のオーナーがお父さんはよく走るっていっていたよ」

といっていた。


最後の試合は、祖父は、
「わしゃ、かかしよりたちが悪い、動かないだけでなく、手を動かしてミスをして邪魔をする」

などと、おどけていた。

っていうか、、狙われてたし、、


勝負だからしょうがない。


彼は、

「打ち負かそうとするのではない。自分が一定の状態でいれば、相手がかってに負けてくれる」

と、長年のテニス生活の中での意見を何度か言った。


この、5年、毎日スポーツしていた僕が全くスポーツをしていない。。

これじゃ、70になる前に足が動かなくなる。

今年はスポーツしなくては、





2010年01月04日


例えば、、仕事は、スポーツの試合のようなものだとしたら、

優勝目指してみんなで戦っているとしたなら、

なんとなく、ライバル企業と競い合うことが

そんなに苦しいことではないと思えてくるかもしれない。


会社のポスト争いも、

例えば、野球チームのポジション争いのようなものだと考えたらそんなに苦しくないかもしれない。

もちろん、監督の息子だからといって、実力がないのに試合に出したら、、試合は負けるだろう。


ただの試合だとしても、

みんなで勝利を目指して戦う中で、いろいろなドラマや感動もあり、、学びと成長もあるだろう。


たぶん、

僕たちが言いたいのは、、ただの勝てば官軍、負ければ賊軍みたいな結果至上主義ではなく、、


武道のような考え方を持って仕事ができたらいいだろう、、という、

独り言なんだと思う。


結果が大事だからこそ、そこにどんな道をたどっていくかが、大事である。

その道を歩かないで、遠くから眺めてあれやこれや見事な批判をしている場合は、
試合に出て負けた人より、、遥かに遥かに、学びから遠いと思う。

歩きやすいと思う道から歩けばいいんだと思う。

疲れたら休めばいいし、走りたければ走ればいいと思う。

ただ、それだけなんだと思う。
2009年12月30日

アダムとエバが食べてしまったように
蛇にそそのかされると、果実を、どうしても人間は食べてしまいたくなるようだ。

そして、その果実を食べた後、人としての修行が始まる。


最近の果実をめぐる動きはどうだろう?

もちろん、命の木や善悪の木の話ではなく、、


山に行っておいしそうな果実を見つけたら食べてみる。
食べたらおいしかった。

ああよかった。

人はこれでは終わらない。

また次の日に山に行く。

またおいしい、よかった。

次は、袋を持って出かける。
家族にも友達にも食べさせてあげたいから、いっぱいもいでこよう。

愛や友情かもしれない。


そして、、もっとたくさんとって、里で売ったら儲かるだろう、、
となる。

この段階では、たくさんの人にその山にその果実があることがばれてしまっている。

取り合うように、果実を取りつくす。
自分の山だと主張して喧嘩しだす。

もう、

その山にその果実がなるまで、何百年という年つきがたっていることも、
その果実を食べて命を繋いでいる動物たちや鳥たちのことなんか、気がついていない。

そして、山をだめにしてしまう。

そして、、次の山を探しに行くわけだ。


こんなことをしてはいけないということは、
英知に長けた霊長類の人間様はわかっている。。

が、この行動は繰り返されている。

だけど、そこの何とかしようと動いている人間もいる。


破壊しようとする行動と、創造しようとする行動が
バランスよく同数であれば、
実は、調和なのかもしれない。

大胆な推論だ。


どうやら、破壊グループのほうが少々部員が多いようだ。

となれば、創造グループの部員を増やさなくてはいけない。
我々はそっち側の仕事をしよう、

そう決めたのがヒーリング関係者の立場なんだと思う。


2009年12月29日
年末です。

今年は、いかがだったでしょうか?

今年学んだことは、、、

理解させようとしても、理解しようとしてもいけない。

でした。

国際的なさまざまな国のお付き合い、
その中で感じたことです。

そして、起こるぶつかり合い、
それが起こるときには、必ず、
何か

「ずるいこと」

があることも実感しました。


例えば、自分だけやすく欲しい、
何かの力を借りて自分の力ではなく自分にメリットが欲しい、

それも、「ずるい」となります。

ずるいことと、ずるいことが、共鳴するととたんに強い交流が生まれます。

時代劇の、、

おぬしも悪よの~~

お代官様こそ、、、

ふぁっ、ふぁっ、ふぁっ、、、ってやつです。


ずるいこと、

これは、自分が低いエネルギーを与え、大きいエネルギーを得ようとすることです。

その、なんとも難しいことは、長期持続が当然できずに破綻します。

これが、揉め事です。


そして、もうひとつの難しいことは、

考え方も育ちも違うもの同士が、
繋がり、等価エネルギーの交換作業を開始すること。

異質のエネルギーを交換し合うなんて、そんな馬鹿なこと、なかなか出来るはずがありません。

ただ、、お互いがお互いのエネルギーをうまく変換して、交流が始まると調和です。

それが、どんどん活発化して交換サイクルや交換の為の量が増えて
交換パイプが太くなると、、

愛と呼ばれる、感謝が生まれます。

これ、むずかしい。。


その、異質のエネルギーは理解しようとしても、理解させようとしても困難。

してはいけない。


では、どうするか?

ほんの針一点でも、、必ず、必ず、、、
絶対に同種の響きあう何かが相互にあります。

それを見つけ出す作業です。

理解したり、理解させようとするのではなく、

その「宝探しゲーム」をすることです。

その、

一点の響きあうものを見つけたら、、
もう、しめたもの。

そこだけを互いに見つめるんです。

するとその一点がどんどんどんどん大きくなる。

そして、、

交換し合えるエネルギーが増えて、
交換パイプが建築される。

そう、こうやって行く。

そうすると調和のサイクルが生まれ、
愛が生まれ、感謝が生まれる。

ここへの、挑戦

その挑戦の人生の歩み方は、誠に有意義なような気がします。




2009年12月25日

人が人とぶつかるときは、

結局、なんらかの、、ずるいこと、、が互いに期待されている場合が多いように思う。

少ないエネルギーを使い、多くの見返りを欲しい、

という言い方でほとんどのずるさは、包括して言い換えることが出来るような気がする。


与えてただ待つ

ができる人はかっこいいと思う。

そうなりたいと努力している姿は、徳を積んでいる、、といえるのかもしれない。
2009年12月25日
 
若いころ、テニスコーチなんて職業が成り立つわけがない

とおもい、契約コーチはいいけど、社員としてやるのは、、なんて考えて、
その道はあきらめたりしていた。
あとから、、ああ、、職業として確立したんだな、、と驚いた。

そして、5年位前までは、なんだかんだで、テニスコーチをレッスン契約方式でしていた。

プロといえない、テニス指導者は市民コートにたくさんいるが、それも、とても大切なことだと思う。

英語の教員資格を持っていたが、
海外に住んだことないししゃべれないのに教員てのもな、、とおもったりしていたが、
しゃべれない人が英語教師になって何とかやっていたりして驚いた。


何とかなんでもなるものだ。


ヒーリングの仕事なんてありえへん、食べられるわけがない、と思っていたが立派に食べている人もたくさんいる。

石の仕事なんて、2億用意しなくちゃダメだといわれるが、
300万で何とかなった(笑)

なんとかなんでもなるものなのかもしれない。

2009年12月21日
恐怖と不安

これは、重要なメッセージであり、なおかつ、
気をつけなければいけない危険なものかもしれない。

良く効く薬ほど毒にもなりえる。

ということなのだろうか?


僕が、ヒーリングについて、施療について、
足掛け20年取り組んで、
その場を離れた理由、その現場を離れたのは、、

いや、はなれようとしてはなれたわけではなく、
何かに押し流されるようにこちらの石の世界に来たのは、

自分の中にあった大きい疑問のためではないかと思う。


大自然の中にみんなで行って
おいしい空気を吸ってゆったりすごしつつ、
ヒーリングワークをすると、
ほんとにみんなの表情はよくなり、
語る言葉も思いやりと愛情に満ちている。

同じことはセッションルームにおいてもいえる。
ヒーリングセッションをしている間は、素晴らしい心になっている。

しかし、ひとたび、実社会に戻ると
元の自分に帰ってしまう。

僕の中では、
日常の中に、思いやりや愛情が満ちていくことこそが一番大事ではないか?
という思いが強まっていった。

みんながハッピーになるのが一番いいよね、

誰もが同意することだ。

しかし、、

それは、人類の歴史の中でずっとずっと、
繰り返し目指してきたもので、、

そのために正義をかざして、血を流し続けてきた難しいテーマだ。


石の取引では、瞬時に大金が動く。。
石でもボトムラインぎりぎりのものがあるかどうかなんて、
宝石商が行ってくる我々の天然石の世界でも、
1000万がひとつの単位となっている。

これが大きいお金かどうかは、判断する人によって異論はあるにしても、
僕の常識では、大きい金額だと思う。

ただ、

そうなると、、

急に、穏やかな人が眼の色変わったりする。

きっと、そういった部分が嫌で、
ヒーラーたちがミネラルショーに来ないんだろう。。。

もちろん、商品供給の役目もになっている
ヒーラーさんは勇気を持って(笑)来てくれるんだけど。


お金のやり取りでもめる根源は、
互いに、なにか、
「うまいことしよう」
「相手を利用しよう」

という考えが起こったときである。

わかりやすく言えば、破格に安く仕入れられたら儲かるという欲と
安いと思わせて売りつけてしまえば金になると思う業者は、
協力に瞬時で繋がるが、やがて崩壊する。


お金は、お金であって、
なくなったらどうしようと恐怖するものでもないし、
たくさんあって浮き足立ってしまうものでもないんじゃないかと思う。

恐怖した場合も、浮かれてしまった場合も、
お金を失うことになる。

そして、また、恐怖する。。

となると、、経済の中での病気、
つまり、エネルギーが回らなくて、お金に苦しむ。

また、恐怖するから大変だ。


どうしたら、かかわるみんながハッピーになるだろう?
どうしたら、みんなが得をするだろう?

問屋も、販売店も、買ってくれるユーザーさんも、そして、僕らみたいな供給元も
あるいは、現地の工場や、鉱山の人も、、、

こいつはたいへんだ。

今いるあなたと私が得をする話を考えるのと訳が違う。

でも、ちょっと、考えてみれば、

あなたと私がいま石をにらんで商談をしてるが、

ここに石が来るまでにいろんな人の力を借りていて、
売ったあともいろんなことがあり、ユーザーさんの手元に行く。

そこからが、石が活躍する場だ。

ほんとうは。


業者同士で品物が動くことがゴールでは決してない。

そういったことまでも思いをめぐらし、
みんなが得をするにはどうしたらいいのだろう?

どうしたら、より良く役立ってくれるだろう?

と、必死の努力をすることは、

徳を積むことになる。

その、徳こそが、人の人生を輝かせるものではないだろうか?


石のビジネスの世界の話をしたが、
これは、全ての世界に当てはまる原理ではなかろうか?
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