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マッターホンカップテニス大会
2012年10月19日
実は、祖父は教員生活に終止符を打ち、定年してからテニスを本格的に始めた。本格的というのは、、ほぼ毎日、自転車で30分走って市民テニスコートに行き、午前中テニスをするという形であった。私自身は、非常に内向的で人と話すのが苦手で一人でいることが多かったため、祖父とテニスをすることが多かった。そうやって、テニスをやるようになった。
その祖父は、しばらく、テニス日記をその戦績とともに書くわけだが、「白球とともに幾年月」と題された、親戚に全員に強制的に送付されたその小冊子は今でもある。その小冊子を作製した後は祖父が倒れ、介護日記となるのである。
まぁ、その祖父も亡くなっているわけだが、、その祖父のテニス友達のケーキ屋さんのおとうさんがいて、、そこに、偶然うちの二番目の娘は勤務している。
そのケーキ屋さんがもう何年もマッターホンカップテニス大会というのを主催していて、昨日ちょっとだけ見に行くつもりが、、ずっといた。
水が浮く場所をスポンジで吸ったりちょっと、手伝ったり。。
試合後はみんなとテニスしてあそんだ。試合観戦なのにしっかりテニスラケットを持っていくわけで、、。
試合には参加していないのに、参加賞のケーキも貰ってしまった。
祖父がその会場である市民コートで何十年も毎日テニスをしていたため、亡くなってからだいぶたつのに、、え?あの加藤先生のお孫さん、あらそ~~、ということで、だいぶ大切にしてもらった。
一緒に組んで試合した方が、あのね、私が若奥さんで小さい子供を連れてテニスコートに来ていたとき、どうせいるなら、球を出してあげるからテニスをやりなさいとおじいさんに言われて、テニスをしたのがきっかけよ、とか、いっていて、、その方と同じテニスコートでゲームして遊んだりしているのは、、なんとも、、感じるものがあった。
けっこう、そこにいた方が、初心者の時からお宅のおじいさんにテニスを教わったとかいうんだよね。。すご。。。
おじいさんのおかげでずいぶんみんなによくしてもらった昨日なのであった。
以前は、ラリーを途切れるように相手が返ってこないように打ちにくいようにやり、いかに相手を打ち負かすかという考えでテニスをするばかりだったが、昨日は、よりよい球でラリーが続くように努力して、試合がより楽しくなるように工夫してテニスをした。みんな、楽しそうに喜んでくれて、、僕も楽しかった。
テニスは、カウント0をゼロって言わないで、
LOVEっていう。だから、、そして、15、30、45とカウントする。
最初に1ポイント取ると、、、
フィフティーン ラブ ってコールするわけだ。
テニスはLOVEから始まる。もしかしたら、幼い僕が祖父と一生懸命ボールをつなげて楽しくしようとおもったように、昨日のテニスみたいにみんなでたのしくやろうとおもったように、
好きな相手と楽しいラリーをする、そんなLOVEがテニスの始まりだったのかもしれない。。
マッケンローの得意の
you can't be serious!! って怒鳴ったりは、おもしろいけど、、
テニスの発端は愛から始まったのかもしれない、、テニスは。
そんなことぼんやり思いながら、、いた。