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愛について・・・
2012年01月05日
最近は何かを調べたいと思ったら
ネット検索したら何でも分かると思ったり
なんでもわからないまでも大概の事がスピーディにわかると思う人が多いようです。
そうかもしれません。
ということで、
何とも良く聞くし、よく言うし、言わないまでも、誰もが求めるもの、
愛、について、検索してみました。
こうでました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あい【愛】
1 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「―を注ぐ」
2 異性をいとしいと思う心。男女間の、相手を慕う情。恋。「―が芽生える」
3 ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する―」
4 個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への―」
5 キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。→アガペー
6 仏教で、主として貪愛(とんあい)のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。
[用法] 愛・愛情――「親と子の愛(愛情)」「夫の妻に対する愛(愛情)」などでは、相通じて用いられる。◇「愛」は、「国家への愛」など、広く抽象的な対象にも向けられる。◇「愛情」は、主に肉親・親しい異性に対して用いられ、「幼なじみにあわい愛情を抱きはじめた」などという。◇類似の語に「情愛」がある。「情愛」は「愛情」と同じく肉親・異性間の感情を表すが、「絶ちがたい母子の情愛」のように、「愛情」よりも思いやる心が具体的である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まったく何だかわかりません。
ですよね?
愛しているの、だから結婚して
っていうのは、相手のためじゃなくて自分のためじゃないか、、なんて思いませんか?
愛というのは見返りを求めず一方的に人に何かを与えること?
相手に思いやりを持ってサポートし続けること?
その、見返りを求めずというのも愛に見えますが、
それは、愛が発生するための一つの過程ではないかと思います。
愛とは、私たちの世界では、状況のことを言います。
等価のエネルギー交換をしながら互いに生かし合う状態
あたかも食物連鎖みたいなもの。。
その連鎖、循環を作ろうと先に、何か相手のためになるものを与えるという
仕掛けをするのが前述の愛だと思います。
それぞれが、それぞれの得意なものや持っている物を交換しながら
その等価のエネルギー交換をしながら一つの集合体が調和している状態を
愛というのではないでしょうか?
よく、スピリチュアルな世界では、
宇宙の愛なんていいます。一般的には、地球の愛ですか?
でも、ほとんど普段は、半径100km以内からでない人がほとんどだし、
宇宙に行ったことある人もあまりいないかわかりにくいと思います。
ぶっちゃけたはなし。
親子の愛、親の子に対する愛は没我的で何も見返りを求めないと言われるけど
親は子からどれだけ喜びをもらっているでしょうか?
そういう意味では、エネルギー交換はなされていると思います。
夫婦なんかでみたら、
最初は、恋から始まります。
種族保存のためにDNAに仕組まれた激しい感情。。。
愛という字は真心で♪
恋という字は下心♪
という歌がありますが、うまいこと言っているかもしれません。
自然界の愛という調和はあたかも神様が仕組んだかのごとくまこと見事で
微細生物さえ、生きるものすべて、そして太陽も水も空気もわけわからない微細な化学成分もみんなかかわって調和を作っています。
人が余計なこと考えて余計なことしなければその調和の状態
愛は崩されなかったと思います。
中途半端な知能はない方がよかったのになぜ、人なんているんだろうと考えたこともあります。
ただ、中途半端な知恵の中で愛をなすことが人の修行でそれが何か意味があるのではないか、ということで結論付けましたが。。
さて、人の愛ってどんなだろう?
その中途半端な知恵で、与えあい生かし合う調和された状態を作るわけです。
どうしたら、役に立てるかって話です。
恋人は相手に気にいられそして相手を自分のものにするために
あの手この手の努力をします。
夫婦になると、手中に入れるための努力は減るかもしれません。
恋の爆発的なときめきや刺激はなくなってきます。
でも、ずっと一緒にいると、だんだん、互いが自然に自分の方が得意なことをしだし、知らないうちにお互いの役目をはたして二人が調和してきます。
あれやって、これやるよ、言わなくても自然に動き出すわけです。
この感じを世の中全部でできたら、、、という、とんでもない宿題が
人が神様から与えられた使命じゃないかと思うんです。
動機は、恋と同じで不順かもしれない。
例えば、、金欲しいなぁ~~
でも、本当にお金を得るには、人が喜ぶことしたら人はお金払うわけで
社会の役に立つ仕事したらお金が来るわけで、、
すっごく役立てばたくさんお金が来るわけで、、
動機は我欲でもそれも、、愛の一端になったりするのではないかと思うのです。
最初は意識して動く、、、けど、、無意識のうちに調和がなされている状態
そして、何のおかげか知らないが、、
おかげさまで、、と感謝しながら愛の役目を果たす。。
その状態が愛なんじゃないかと思うわけです。
ネット検索したら何でも分かると思ったり
なんでもわからないまでも大概の事がスピーディにわかると思う人が多いようです。
そうかもしれません。
ということで、
何とも良く聞くし、よく言うし、言わないまでも、誰もが求めるもの、
愛、について、検索してみました。
こうでました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あい【愛】
1 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「―を注ぐ」
2 異性をいとしいと思う心。男女間の、相手を慕う情。恋。「―が芽生える」
3 ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する―」
4 個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への―」
5 キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。→アガペー
6 仏教で、主として貪愛(とんあい)のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。
[用法] 愛・愛情――「親と子の愛(愛情)」「夫の妻に対する愛(愛情)」などでは、相通じて用いられる。◇「愛」は、「国家への愛」など、広く抽象的な対象にも向けられる。◇「愛情」は、主に肉親・親しい異性に対して用いられ、「幼なじみにあわい愛情を抱きはじめた」などという。◇類似の語に「情愛」がある。「情愛」は「愛情」と同じく肉親・異性間の感情を表すが、「絶ちがたい母子の情愛」のように、「愛情」よりも思いやる心が具体的である。
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まったく何だかわかりません。
ですよね?
愛しているの、だから結婚して
っていうのは、相手のためじゃなくて自分のためじゃないか、、なんて思いませんか?
愛というのは見返りを求めず一方的に人に何かを与えること?
相手に思いやりを持ってサポートし続けること?
その、見返りを求めずというのも愛に見えますが、
それは、愛が発生するための一つの過程ではないかと思います。
愛とは、私たちの世界では、状況のことを言います。
等価のエネルギー交換をしながら互いに生かし合う状態
あたかも食物連鎖みたいなもの。。
その連鎖、循環を作ろうと先に、何か相手のためになるものを与えるという
仕掛けをするのが前述の愛だと思います。
それぞれが、それぞれの得意なものや持っている物を交換しながら
その等価のエネルギー交換をしながら一つの集合体が調和している状態を
愛というのではないでしょうか?
よく、スピリチュアルな世界では、
宇宙の愛なんていいます。一般的には、地球の愛ですか?
でも、ほとんど普段は、半径100km以内からでない人がほとんどだし、
宇宙に行ったことある人もあまりいないかわかりにくいと思います。
ぶっちゃけたはなし。
親子の愛、親の子に対する愛は没我的で何も見返りを求めないと言われるけど
親は子からどれだけ喜びをもらっているでしょうか?
そういう意味では、エネルギー交換はなされていると思います。
夫婦なんかでみたら、
最初は、恋から始まります。
種族保存のためにDNAに仕組まれた激しい感情。。。
愛という字は真心で♪
恋という字は下心♪
という歌がありますが、うまいこと言っているかもしれません。
自然界の愛という調和はあたかも神様が仕組んだかのごとくまこと見事で
微細生物さえ、生きるものすべて、そして太陽も水も空気もわけわからない微細な化学成分もみんなかかわって調和を作っています。
人が余計なこと考えて余計なことしなければその調和の状態
愛は崩されなかったと思います。
中途半端な知能はない方がよかったのになぜ、人なんているんだろうと考えたこともあります。
ただ、中途半端な知恵の中で愛をなすことが人の修行でそれが何か意味があるのではないか、ということで結論付けましたが。。
さて、人の愛ってどんなだろう?
その中途半端な知恵で、与えあい生かし合う調和された状態を作るわけです。
どうしたら、役に立てるかって話です。
恋人は相手に気にいられそして相手を自分のものにするために
あの手この手の努力をします。
夫婦になると、手中に入れるための努力は減るかもしれません。
恋の爆発的なときめきや刺激はなくなってきます。
でも、ずっと一緒にいると、だんだん、互いが自然に自分の方が得意なことをしだし、知らないうちにお互いの役目をはたして二人が調和してきます。
あれやって、これやるよ、言わなくても自然に動き出すわけです。
この感じを世の中全部でできたら、、、という、とんでもない宿題が
人が神様から与えられた使命じゃないかと思うんです。
動機は、恋と同じで不順かもしれない。
例えば、、金欲しいなぁ~~
でも、本当にお金を得るには、人が喜ぶことしたら人はお金払うわけで
社会の役に立つ仕事したらお金が来るわけで、、
すっごく役立てばたくさんお金が来るわけで、、
動機は我欲でもそれも、、愛の一端になったりするのではないかと思うのです。
最初は意識して動く、、、けど、、無意識のうちに調和がなされている状態
そして、何のおかげか知らないが、、
おかげさまで、、と感謝しながら愛の役目を果たす。。
その状態が愛なんじゃないかと思うわけです。