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雪山
2011年03月04日
なんとなく最近、山が好きになっています。
いつからそうなったのかわかりません。
父親が登山をよくする人間だったので、その影響があるのかもしれません。
わかりません。
天然石の仕事を偶然することになり、嫌でも山に引き寄せられる生活ですが、
(別に嫌じゃないけど)
ただ、山が好きになっていますね。知らないうちに。
父親は登山隊の一番最後を歩く人でした。
誰かが後れをとったりしないように、落伍者が出ないように、後ろから見守りながら歩くのがいいと言っていました。一番前を歩くんじゃないんだと。
一番前を歩いていたら、雪山では誰かが後れを取ってしまっても気がつかないというのです。吹雪いたらなおさらだと。
万一雪山で後れをとりどこにいるかわからないというような人が出たら、
その場合は、死という危険がすぐに彼には訪れるということでした。
父に、なぜ家族ほったらかして山にばかり登るかと母が聞いても、使いまわされた古いお決まりのセリフ
「そこに山があるから」と言うばかりだったそうです。
その愚痴をぼくは、多分、500回は聞かされたと思います。
今となれば、いい思い出ですが。いろんなことを表すことですから。
いずれにしても、その言葉は、ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)というイギリスの登山家がかつて「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて「そこに山があるから(Because it is there.)」と答えたという有名な逸話によるものです。
山男にとっては説明したってわかりっこない、山に登らない人に山に登る理由を説明するときにとっても便利な言葉で、多用されていたようです。
ぼくの子供の頃の話です。
さて、雪山では父の考え方は正解でしょう。そうありたいと思います。
では、人生の登山隊についてはどうでしょうか?
ぼくは、少々勘違いして生きてきたかもしれません。
人生の、縁ある仲間との登山隊のあり方、僕は雪山と同じようにやろうとしてきたのです。
これは、一見親切なようで、実は害があることがある。
いや、むしろ、人生の登山隊においては全く別の考えを持たないといけないと思います。
人生の登山隊とは幸福という山の頂上を目指すことを言います。
縁ある仲間とともに。
何を言いたいかというと・・・
いったん集まった仲間と同じ道を歩いて登るわけです。
で、人生においては、落ちこぼれが出ないように無理やり手を引っ張ったり
無理やり同じ道を歩かせようとしてはいけない。
心配はいりません。雪山じゃないんだから、凍死することはありません。
ついてこれない人がいても。
実は、一緒に歩いてみたけど自分の幸福に至る道は違う、
違う道を通って登る才能がある場合は、その登山隊とは離れて、
自分の適性のある道を歩いてもらって法がいいわけです。
その人の才能が光る道筋を奪ってはいけない。
だから、仲間をときどき見たり、談笑したり、励ましたり、慰めたりはあっても、
基本的にみんな、自分がどんどん進むこと。
そして、周りのペースが遅いということは一切気にしないで、どんどん、自分の心地よいスピードで登るのがいい。
逆に周りに合わせてペースを遅らせては、自分の才能やチャンスを逃すことにもなりかねない。
一見、自分勝手のようだけど、実は違う。
みんなが、一番向いた道を選択し、必要な仲間と手をつないで歩むために
そういった方法が一番いいんですね。
これに気がつくのに、、何十年もかかってしまった。
なんとなく最近、山が好きになっています。
いつからそうなったのかわかりません。
父親が登山をよくする人間だったので、その影響があるのかもしれません。
わかりません。
天然石の仕事を偶然することになり、嫌でも山に引き寄せられる生活ですが、
(別に嫌じゃないけど)
ただ、山が好きになっていますね。知らないうちに。
父親は登山隊の一番最後を歩く人でした。
誰かが後れをとったりしないように、落伍者が出ないように、後ろから見守りながら歩くのがいいと言っていました。一番前を歩くんじゃないんだと。
一番前を歩いていたら、雪山では誰かが後れを取ってしまっても気がつかないというのです。吹雪いたらなおさらだと。
万一雪山で後れをとりどこにいるかわからないというような人が出たら、
その場合は、死という危険がすぐに彼には訪れるということでした。
父に、なぜ家族ほったらかして山にばかり登るかと母が聞いても、使いまわされた古いお決まりのセリフ
「そこに山があるから」と言うばかりだったそうです。
その愚痴をぼくは、多分、500回は聞かされたと思います。
今となれば、いい思い出ですが。いろんなことを表すことですから。
いずれにしても、その言葉は、ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)というイギリスの登山家がかつて「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて「そこに山があるから(Because it is there.)」と答えたという有名な逸話によるものです。
山男にとっては説明したってわかりっこない、山に登らない人に山に登る理由を説明するときにとっても便利な言葉で、多用されていたようです。
ぼくの子供の頃の話です。
さて、雪山では父の考え方は正解でしょう。そうありたいと思います。
では、人生の登山隊についてはどうでしょうか?
ぼくは、少々勘違いして生きてきたかもしれません。
人生の、縁ある仲間との登山隊のあり方、僕は雪山と同じようにやろうとしてきたのです。
これは、一見親切なようで、実は害があることがある。
いや、むしろ、人生の登山隊においては全く別の考えを持たないといけないと思います。
人生の登山隊とは幸福という山の頂上を目指すことを言います。
縁ある仲間とともに。
何を言いたいかというと・・・
いったん集まった仲間と同じ道を歩いて登るわけです。
で、人生においては、落ちこぼれが出ないように無理やり手を引っ張ったり
無理やり同じ道を歩かせようとしてはいけない。
心配はいりません。雪山じゃないんだから、凍死することはありません。
ついてこれない人がいても。
実は、一緒に歩いてみたけど自分の幸福に至る道は違う、
違う道を通って登る才能がある場合は、その登山隊とは離れて、
自分の適性のある道を歩いてもらって法がいいわけです。
その人の才能が光る道筋を奪ってはいけない。
だから、仲間をときどき見たり、談笑したり、励ましたり、慰めたりはあっても、
基本的にみんな、自分がどんどん進むこと。
そして、周りのペースが遅いということは一切気にしないで、どんどん、自分の心地よいスピードで登るのがいい。
逆に周りに合わせてペースを遅らせては、自分の才能やチャンスを逃すことにもなりかねない。
一見、自分勝手のようだけど、実は違う。
みんなが、一番向いた道を選択し、必要な仲間と手をつないで歩むために
そういった方法が一番いいんですね。
これに気がつくのに、、何十年もかかってしまった。
なんとなく最近、山が好きになっています。
いつからそうなったのかわかりません。
父親が登山をよくする人間だったので、その影響があるのかもしれません。
わかりません。
天然石の仕事を偶然することになり、嫌でも山に引き寄せられる生活ですが、
(別に嫌じゃないけど)
ただ、山が好きになっていますね。知らないうちに。
父親は登山隊の一番最後を歩く人でした。
誰かが後れをとったりしないように、落伍者が出ないように、後ろから見守りながら歩くのがいいと言っていました。一番前を歩くんじゃないんだと。
一番前を歩いていたら、雪山では誰かが後れを取ってしまっても気がつかないというのです。吹雪いたらなおさらだと。
万一雪山で後れをとりどこにいるかわからないというような人が出たら、
その場合は、死という危険がすぐに彼には訪れるということでした。
父に、なぜ家族ほったらかして山にばかり登るかと母が聞いても、使いまわされた古いお決まりのセリフ
「そこに山があるから」と言うばかりだったそうです。
その愚痴をぼくは、多分、500回は聞かされたと思います。
今となれば、いい思い出ですが。いろんなことを表すことですから。
いずれにしても、その言葉は、ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)というイギリスの登山家がかつて「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて「そこに山があるから(Because it is there.)」と答えたという有名な逸話によるものです。
山男にとっては説明したってわかりっこない、山に登らない人に山に登る理由を説明するときにとっても便利な言葉で、多用されていたようです。
ぼくの子供の頃の話です。
さて、雪山では父の考え方は正解でしょう。そうありたいと思います。
では、人生の登山隊についてはどうでしょうか?
ぼくは、少々勘違いして生きてきたかもしれません。
人生の、縁ある仲間との登山隊のあり方、僕は雪山と同じようにやろうとしてきたのです。
これは、一見親切なようで、実は害があることがある。
いや、むしろ、人生の登山隊においては全く別の考えを持たないといけないと思います。
人生の登山隊とは幸福という山の頂上を目指すことを言います。
縁ある仲間とともに。
何を言いたいかというと・・・
いったん集まった仲間と同じ道を歩いて登るわけです。
で、人生においては、落ちこぼれが出ないように無理やり手を引っ張ったり
無理やり同じ道を歩かせようとしてはいけない。
心配はいりません。雪山じゃないんだから、凍死することはありません。
ついてこれない人がいても。
実は、一緒に歩いてみたけど自分の幸福に至る道は違う、
違う道を通って登る才能がある場合は、その登山隊とは離れて、
自分の適性のある道を歩いてもらって法がいいわけです。
その人の才能が光る道筋を奪ってはいけない。
だから、仲間をときどき見たり、談笑したり、励ましたり、慰めたりはあっても、
基本的にみんな、自分がどんどん進むこと。
そして、周りのペースが遅いということは一切気にしないで、どんどん、自分の心地よいスピードで登るのがいい。
逆に周りに合わせてペースを遅らせては、自分の才能やチャンスを逃すことにもなりかねない。
一見、自分勝手のようだけど、実は違う。
みんなが、一番向いた道を選択し、必要な仲間と手をつないで歩むために
そういった方法が一番いいんですね。
これに気がつくのに、、何十年もかかってしまった。
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ニキルジェムズ・JAPAN株式会社
代表取締役 加藤展生
〒420-0046
静岡県静岡市葵区吉野町4-7
TEL:054-270-5490
nikhilgems-japan@hotmail.co.jp
http://www.nikhilgems-japan.com/
http://www.porto-healing.com/
http://www.nikhilgems.com/
http://www.takesumi-japan.com/
あさがおのお宿
http://asagaoasagao.shop28.makeshop.jp/
インドクリスタル・ヒーリング協会 ICHA
http://icha-crystal.com/
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いつからそうなったのかわかりません。
父親が登山をよくする人間だったので、その影響があるのかもしれません。
わかりません。
天然石の仕事を偶然することになり、嫌でも山に引き寄せられる生活ですが、
(別に嫌じゃないけど)
ただ、山が好きになっていますね。知らないうちに。
父親は登山隊の一番最後を歩く人でした。
誰かが後れをとったりしないように、落伍者が出ないように、後ろから見守りながら歩くのがいいと言っていました。一番前を歩くんじゃないんだと。
一番前を歩いていたら、雪山では誰かが後れを取ってしまっても気がつかないというのです。吹雪いたらなおさらだと。
万一雪山で後れをとりどこにいるかわからないというような人が出たら、
その場合は、死という危険がすぐに彼には訪れるということでした。
父に、なぜ家族ほったらかして山にばかり登るかと母が聞いても、使いまわされた古いお決まりのセリフ
「そこに山があるから」と言うばかりだったそうです。
その愚痴をぼくは、多分、500回は聞かされたと思います。
今となれば、いい思い出ですが。いろんなことを表すことですから。
いずれにしても、その言葉は、ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)というイギリスの登山家がかつて「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて「そこに山があるから(Because it is there.)」と答えたという有名な逸話によるものです。
山男にとっては説明したってわかりっこない、山に登らない人に山に登る理由を説明するときにとっても便利な言葉で、多用されていたようです。
ぼくの子供の頃の話です。
さて、雪山では父の考え方は正解でしょう。そうありたいと思います。
では、人生の登山隊についてはどうでしょうか?
ぼくは、少々勘違いして生きてきたかもしれません。
人生の、縁ある仲間との登山隊のあり方、僕は雪山と同じようにやろうとしてきたのです。
これは、一見親切なようで、実は害があることがある。
いや、むしろ、人生の登山隊においては全く別の考えを持たないといけないと思います。
人生の登山隊とは幸福という山の頂上を目指すことを言います。
縁ある仲間とともに。
何を言いたいかというと・・・
いったん集まった仲間と同じ道を歩いて登るわけです。
で、人生においては、落ちこぼれが出ないように無理やり手を引っ張ったり
無理やり同じ道を歩かせようとしてはいけない。
心配はいりません。雪山じゃないんだから、凍死することはありません。
ついてこれない人がいても。
実は、一緒に歩いてみたけど自分の幸福に至る道は違う、
違う道を通って登る才能がある場合は、その登山隊とは離れて、
自分の適性のある道を歩いてもらって法がいいわけです。
その人の才能が光る道筋を奪ってはいけない。
だから、仲間をときどき見たり、談笑したり、励ましたり、慰めたりはあっても、
基本的にみんな、自分がどんどん進むこと。
そして、周りのペースが遅いということは一切気にしないで、どんどん、自分の心地よいスピードで登るのがいい。
逆に周りに合わせてペースを遅らせては、自分の才能やチャンスを逃すことにもなりかねない。
一見、自分勝手のようだけど、実は違う。
みんなが、一番向いた道を選択し、必要な仲間と手をつないで歩むために
そういった方法が一番いいんですね。
これに気がつくのに、、何十年もかかってしまった。
なんとなく最近、山が好きになっています。
いつからそうなったのかわかりません。
父親が登山をよくする人間だったので、その影響があるのかもしれません。
わかりません。
天然石の仕事を偶然することになり、嫌でも山に引き寄せられる生活ですが、
(別に嫌じゃないけど)
ただ、山が好きになっていますね。知らないうちに。
父親は登山隊の一番最後を歩く人でした。
誰かが後れをとったりしないように、落伍者が出ないように、後ろから見守りながら歩くのがいいと言っていました。一番前を歩くんじゃないんだと。
一番前を歩いていたら、雪山では誰かが後れを取ってしまっても気がつかないというのです。吹雪いたらなおさらだと。
万一雪山で後れをとりどこにいるかわからないというような人が出たら、
その場合は、死という危険がすぐに彼には訪れるということでした。
父に、なぜ家族ほったらかして山にばかり登るかと母が聞いても、使いまわされた古いお決まりのセリフ
「そこに山があるから」と言うばかりだったそうです。
その愚痴をぼくは、多分、500回は聞かされたと思います。
今となれば、いい思い出ですが。いろんなことを表すことですから。
いずれにしても、その言葉は、ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)というイギリスの登山家がかつて「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて「そこに山があるから(Because it is there.)」と答えたという有名な逸話によるものです。
山男にとっては説明したってわかりっこない、山に登らない人に山に登る理由を説明するときにとっても便利な言葉で、多用されていたようです。
ぼくの子供の頃の話です。
さて、雪山では父の考え方は正解でしょう。そうありたいと思います。
では、人生の登山隊についてはどうでしょうか?
ぼくは、少々勘違いして生きてきたかもしれません。
人生の、縁ある仲間との登山隊のあり方、僕は雪山と同じようにやろうとしてきたのです。
これは、一見親切なようで、実は害があることがある。
いや、むしろ、人生の登山隊においては全く別の考えを持たないといけないと思います。
人生の登山隊とは幸福という山の頂上を目指すことを言います。
縁ある仲間とともに。
何を言いたいかというと・・・
いったん集まった仲間と同じ道を歩いて登るわけです。
で、人生においては、落ちこぼれが出ないように無理やり手を引っ張ったり
無理やり同じ道を歩かせようとしてはいけない。
心配はいりません。雪山じゃないんだから、凍死することはありません。
ついてこれない人がいても。
実は、一緒に歩いてみたけど自分の幸福に至る道は違う、
違う道を通って登る才能がある場合は、その登山隊とは離れて、
自分の適性のある道を歩いてもらって法がいいわけです。
その人の才能が光る道筋を奪ってはいけない。
だから、仲間をときどき見たり、談笑したり、励ましたり、慰めたりはあっても、
基本的にみんな、自分がどんどん進むこと。
そして、周りのペースが遅いということは一切気にしないで、どんどん、自分の心地よいスピードで登るのがいい。
逆に周りに合わせてペースを遅らせては、自分の才能やチャンスを逃すことにもなりかねない。
一見、自分勝手のようだけど、実は違う。
みんなが、一番向いた道を選択し、必要な仲間と手をつないで歩むために
そういった方法が一番いいんですね。
これに気がつくのに、、何十年もかかってしまった。
なんとなく最近、山が好きになっています。
いつからそうなったのかわかりません。
父親が登山をよくする人間だったので、その影響があるのかもしれません。
わかりません。
天然石の仕事を偶然することになり、嫌でも山に引き寄せられる生活ですが、
(別に嫌じゃないけど)
ただ、山が好きになっていますね。知らないうちに。
父親は登山隊の一番最後を歩く人でした。
誰かが後れをとったりしないように、落伍者が出ないように、後ろから見守りながら歩くのがいいと言っていました。一番前を歩くんじゃないんだと。
一番前を歩いていたら、雪山では誰かが後れを取ってしまっても気がつかないというのです。吹雪いたらなおさらだと。
万一雪山で後れをとりどこにいるかわからないというような人が出たら、
その場合は、死という危険がすぐに彼には訪れるということでした。
父に、なぜ家族ほったらかして山にばかり登るかと母が聞いても、使いまわされた古いお決まりのセリフ
「そこに山があるから」と言うばかりだったそうです。
その愚痴をぼくは、多分、500回は聞かされたと思います。
今となれば、いい思い出ですが。いろんなことを表すことですから。
いずれにしても、その言葉は、ジョージ・ハーバート・リー・マロリー(George Herbert Leigh Mallory)というイギリスの登山家がかつて「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて「そこに山があるから(Because it is there.)」と答えたという有名な逸話によるものです。
山男にとっては説明したってわかりっこない、山に登らない人に山に登る理由を説明するときにとっても便利な言葉で、多用されていたようです。
ぼくの子供の頃の話です。
さて、雪山では父の考え方は正解でしょう。そうありたいと思います。
では、人生の登山隊についてはどうでしょうか?
ぼくは、少々勘違いして生きてきたかもしれません。
人生の、縁ある仲間との登山隊のあり方、僕は雪山と同じようにやろうとしてきたのです。
これは、一見親切なようで、実は害があることがある。
いや、むしろ、人生の登山隊においては全く別の考えを持たないといけないと思います。
人生の登山隊とは幸福という山の頂上を目指すことを言います。
縁ある仲間とともに。
何を言いたいかというと・・・
いったん集まった仲間と同じ道を歩いて登るわけです。
で、人生においては、落ちこぼれが出ないように無理やり手を引っ張ったり
無理やり同じ道を歩かせようとしてはいけない。
心配はいりません。雪山じゃないんだから、凍死することはありません。
ついてこれない人がいても。
実は、一緒に歩いてみたけど自分の幸福に至る道は違う、
違う道を通って登る才能がある場合は、その登山隊とは離れて、
自分の適性のある道を歩いてもらって法がいいわけです。
その人の才能が光る道筋を奪ってはいけない。
だから、仲間をときどき見たり、談笑したり、励ましたり、慰めたりはあっても、
基本的にみんな、自分がどんどん進むこと。
そして、周りのペースが遅いということは一切気にしないで、どんどん、自分の心地よいスピードで登るのがいい。
逆に周りに合わせてペースを遅らせては、自分の才能やチャンスを逃すことにもなりかねない。
一見、自分勝手のようだけど、実は違う。
みんなが、一番向いた道を選択し、必要な仲間と手をつないで歩むために
そういった方法が一番いいんですね。
これに気がつくのに、、何十年もかかってしまった。
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