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まぁ、、家族への愛を暇さえあれば語る人がいた。
2010年05月28日
昔、サラリーマン時代
東北に、ことあるごとに家族の愛について語る取引先の人がいた。
仕事が終わり、飲みに言ったりすると、普通は、仕事の話をしたり、
遊びの話をしたり、、普通は家族の話はそんなにしないものだけど、
彼はとにかくそんな話をした。
彼がいろいろ話した中で、、
ひとつだけ、、忘れられない言葉がある。
自分の子供たちが
喧嘩したり、泣いたり騒いだり、、
こういったことを家庭でやるってことは、、
彼らが安心した家庭にいるってことなんだ。
もし、夫婦の仲が悪かったり、
何らかの危機に瀕していたりしたら、、
子供はわがまま言ったり騒いだり
そんなことは出来ない。
子供たちが安心して羽目を外せる安全な家庭を男は作らなくてはならない。
ってことだった。
面白い角度の見方だけど、確かに
子供たちが不安だったら、、兄弟げんかなんか出来ないわな。。
団結して、協力してその困難を越えようと思うだけだ。
まぁ、確かにね。
しかしながら、
子供のころは、35歳を越えた人たちは、かなりの大人で完成された立派なものだと思っていた。
だからこそ、、親の言葉や振る舞いは、絶対に正しいように思っていた。
まさか、、35歳をすぎても、40歳をすぎても
その大人が不安があったり、ストレスに苦しんでいたりなんて思いもよらなかったし、
ガチンとした信条がないなんてことあるはずがないと思っていた。
ましてや、二十代の若かったころの記憶が実はけっこう鮮やかにその俊になってもあるなんてことも、、知らなかった。
四十代近辺の人、おもったより、四十代って若いじゃんなんて実は思っていたりする。
けっこう面白いじゃんなんて、、
けっこう若く見えちゃうんだよね、ぼくはなんて。。
でも、、
やっぱり、当たり前だけど二十歳の連中といっしょに並ぶと、、違う。
確実に。。
僕はどうがんばっても大学生には見えない。。。
しかしながら、、24歳の娘に、その年代その年代のその年代こその楽しさを楽しむことが大事だ、、なんて、言われたときにゃあ、、
まいりますね。。
家族のあり方ってのは、家族ごといろいろで、
それはいろんな形でいいんだと思うけど、、
そのいろんな形や常識の中で育ったもの同士
そして、性別が違う人間と結婚なんてするわけだから、
そりゃ、、大変だわ。
大変なはずだ。
どう考えたって。