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何を言っているんだ?と言われるかもしれないけれど
2009年10月19日
インドのニキル・ジャベリと、大概、同じ部屋に泊まる。
寝るだけなのに余計に金を払うこともない、、という彼の意見をそのまま採用しているわけで、、それ以上の理由はない。
あっても困るけど(笑)
ただ、いろいろと話すことになる。
いろんなことを。
彼は、朝日が好きだという。
僕は、夕日が好きだという。
彼は、原色が好きで赤が好き。
僕は、薄い混ざった色が好きで水色が好き。
全く、、ばらばらなのである。
そういった組み合わせだと時にお互いを補い心地いいが、
時に、、すっげ~~心地悪い(笑)
こうも深く付き合うと、、
いつもいつも、、
全く違う生い立ち、、
宗教の違い、習慣や考え方の違いにぶつかる。
大概は、僕が、、彼の主張に合わせるが、、たまに、、
ごくたまに、、僕は狂ったように強く主張する。
どちらの主張も必ず通る。
文化の違いや考え方の違い、、
これをどっちが正しいという話になれば、喧嘩になり、、
戦争になる。。。
どう捕らえたらいいのか、、というのでいつも悩んでいたが、、
答えが少し出てきた。
文化、宗教というのは、
生きるために作ったある種の「型」なのかもしれない。
というある種の推論である。
しなやかに臨機応変にと
イチローのバッティングみたいなものが
日本のよさかもしれないが、、
そこは究極の奥義で
型を手放すのは、、かなりの難しさで、、
ある一面だけを見ればイチローも型を手放しているのかもしれないが、、
型の中にいるのかもしれない。。
が、、
究極の奥義、、型にありて型になし、型になくとも型にあり、
というのは、、考えないほうが無難かと思う。
厳しく厳しく、型を重んじる国は、
明確な倫理、、、つまり、、神の意思、、に沿った宗教がある。
あるいは、、宗教がない場合でも、ある流儀、団体、組織の作った型もある。
型を手放すことばかり考えて生きてきたが、、
型の効能、、、
絶大な効能は、、
型に専心することで、、浮世の決して手放すことが出来ない、、
さまざまな恐怖や執着をひと時忘れ、無の境地に近づくことが出来るのかもしれない。
そのときにだけ。
そのときにだけ、、浮世の戯言、、恨みつらみ、死の恐怖、、欲、、
こういったものから逃れ、、その時間に、、
浮世でうまく適用するためのリセットが出来るとしたなら、、あるいはそれに役立つとしたなら、、
厳格な型にそった、、お稽古、なども、、意味があるのではないか?
いや、、武道も茶道もその効能を期待して構成されたという部分はあるまいか?
という、気になってくるのである。
と思いをめぐらすと、、
剣道で自分を磨くという人を
俺は、柔道だ、
剣道と柔道とどっちが強いか勝負しようといってもしょうがないという気にすらなってくる。