2011年06月08日
人は古来は皆、神々たちの声を聞きながら、畏敬と感謝の念をもって生きてきたと思います。
山の神・海の神・・・
特定神を全部の象徴とする一神教的なものもあるし
日本のような八百万の神、という考え方もあるし、
しかしながら、神様の見つめ方の問題で本質は一つではないかと思います。
時代が遡るほど、情報というのは入手しにくく
サイキックな感覚を多用する必要があったでしょう。
もちろん、神々の声を聞ける能力は個人差があり、優れた人間はシャーマンとしての役目を果たしていました。
近代化される中で、物理的に便利になるとともに、同時に過大なストレスも生むようになりました。
これは、とても皮肉なことです。
そして、その問題を科学とやらで解決しようとしても、また新たな問題が発生する。
いずれにしても、ストレスを生むエネルギーが満ちているのが近代社会。
そこから身を守るために人は感じる能力を封印したため、悪いエネルギーも感じませんが、良いエネルギーも感じられなくなったようです。
ただし、本来、感じる力を封印してやり過ごすというのは一時的応急処置であり、
その応急処置ではらちが明かないと気づいた人はスピリチュアリズムに興味を覚えるのでしょう。
スピリットとの対話、については、こんな仕事をしていると多く体験したり、あるいは、体験をお聞きすることになります。
神の声を聞く方のパターンは三つあります。チャネリングとかリーディングなどもその一種だし、奇蹟の治療能力?未来を見通す占い?なんてのも、その一種とも言えます。
①修行のもと、人格と霊性の向上とともにスピリットとつながる
②チャネリングの技術のみを習得し、霊性の向上とは関係なくスピリットと繋がる
③ある日突然能力を授かる。
②の場合は、危険性があります。というのは、霊性の向上に任せて授かる場合は、必要なものが必要な時に降りてきますが、自分でしっかりと繋がるものを選択しなくてはいけないし、それを誤れば、不幸を起こす。
③の場合、私は以前こう言われたことがあります。
ある日突然能力を上から授かるのは、特別な役目を上から与えられたと思われますので、ますますの霊性と人格の向上に努め、自分の役目を果たすよう努力しなさい、と。
私自身もそうだと思っております。一つのことにとことん精通すると二次的にそういった能力が作られるようです。
昨日はキリンカップサッカーをやっていましたが、得点が入らず、残念でしたが、、
優れたサッカーの選手は、自分がボールをけ蹴る前に、どうなるのか、明確な画像で未来が見えたり、彼らの言葉では、特別なゾーンと言われる心理状態、神がかった状態になってスーパープレーをするそうです。
サーカーグラウンドを上からヘリコプターに乗ってみているように明確に全部が一瞬でわかったりすることもあるそうです。
そういえば、かつての野球の名バッターはボールが止まって見えると言いましたね。。
また、将棋の名人も、一秒たったのか、1日たったのかわからないようなトランス状態に入り、特別な状態から複雑なパターンからもっとも適した手を打つのだそうです。もっと深く入ったら戻ってこれないような気がするのでそこまではいかない、、なんて言う人もいるようです。
いずれにしても、突然能力を授かった場合は、
感謝しながら神秘を眺め、自分の社会における役割を果たしていくというのが基本だとおもっております。
近代社会においては、その発展は、自給自足の生活ではなく、分業をしたことが大きいと思います。
各分野のスペシャリストを作り、その専門分野を各自、あるいは、各グループが発展させ、社会構造を作る、だから、レベルが高まった。
近代的な作業の中で神の声を聞くことが邪魔にある場合があります。
例えば、そう、飛行機を製造するときに各自が神の声に従って作ったら、、
なんか、即座に墜落するような気がします。
技術的な論理的数学的な設計製造のほうが安全のように思います。
そういったかなで、神々の声を聞く人がほとんどいなくなると、その分野のスペシャリストも欲しくなる、という感じはします。
癒しについてもそうです。昔は、親子・家族・職場・近所付き合いのなかで、自然に癒しが行われていたが、今はそうじゃないから
癒しが産業として分業化されたのだと思います。
いずれにしても、良い方向に人があるいていると思いたいし、そうしていかなくてはいけないでしょう。
人が地球に害のあるもの、害にしかならないとしたら、
人間全体の意志で、人を駆逐。。。なんてならないようにしないと。。(汗)