2010年05月20日
学び、とはなんだろう?
という話である。
残念なことに、多分、肥料が強すぎたのか、
サンシキヒルガオが枯れる始めてしまった。
出張から帰り、見に行ったら、そうなっていた。
人間にも、ためになるだろうと、消化できる以上に
与えたり、相手が受け入れられないタイミングや理解できないタイミングで与えたら、
むしろ害がる。
同じだ。。
①科学というのは、人間の左脳で考えた人が幸せになるための論理であり実践だと思う。
②芸術とは人間が右脳で感じて浮かび上がったものだったり言葉であり、行動であり、絵であり、、、音楽であり、文学であり、、つまり、そんな形の実践だと思う。
人、、というのは、不思議な生き物だと思う。
論理的思考を神に与えられた。
本当は、他の動物や植物のように、体に刻まれた調和の法則にただ従い生きれば、
何の不安も恐怖もなく、愛と調和の行動を行い、生きとし生けるものと相互に命を活かしあい、生きていったのだと思う。
それでいいはずなのに、論理的に考える力を授かった
しかしながら、完璧な論理は「真理」と呼ばれるものでそれを持ったものは、
人類の歴史の中で、、ほんの数人、、らしい。。
いったら、、全員論理は持っているが、それは不完全で、
その個人の持っている論理をごり押ししたら、社会に害をもたらすようなものである。
なら、、
その個々人の論理を全部重ね合わせて、、
ジューサーに入れてかき混ぜて、成熟させたら、、
かなり、、「真理」に近づくような感じがする。
ということは、
人は全員、地球にいる全員集まったら、、
「真理」をすでに持っているのかもしれない。。
大胆な、加藤式理論だ(笑)
ただ、自分は、個人の持っている論理は不完全として定義しているわけだから、
自分個人の持つ論理は、もちろん、不完全、ということになる。。
でも、私は特別だから、これは完全なんだと言い出すと、
そう、、大変なことになる(笑)
さらに、、権威づけるために、私は神の声を聞いたのだ、とやれば、これまたすごいことになる(爆笑)
反して、芸術は、私たちに命が生まれた38億年前から刻まれて、練られてきた
完全なる英知のヒビキと他の自然の命のそのヒビキとの
共振共鳴による、活性化により起こったものだと思う
それを
感動
と呼ぶ。
感動は情熱を呼ぶ、、情熱は何かを創造する。
ただ、響いているだけだと想像する。
そのヒビキが共振共鳴すると感動になる。
感動は情熱を作り
想像する。
だっから、、あなたが想像できたことは実現できることなんてことが言われる。
言いたいことは、
左脳で考えた幸せのための創意工夫や親切心と
右脳で出来たその感動が合体すると
人、、としてのこの地球での役目を全うできることになるんじゃないか
という、僕の思いである。
しっかし、、
何で、、サンシキヒルガオ枯れちゃったんだ。。
がっかりだ。。。
化学肥料、自然界ではありえないすごい、効果もあるが、、
すごい、、殺傷力もある。。。。。
そんなこと、、知っていたのに。。
あせってしまった。
あせると判断力が低下する。。
もう、、ばか。。。
ぼくのばか。。。。。