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2009年12月
◆ゆるゆる日記はこちら♪:14
2009年12月30日

アダムとエバが食べてしまったように
蛇にそそのかされると、果実を、どうしても人間は食べてしまいたくなるようだ。

そして、その果実を食べた後、人としての修行が始まる。


最近の果実をめぐる動きはどうだろう?

もちろん、命の木や善悪の木の話ではなく、、


山に行っておいしそうな果実を見つけたら食べてみる。
食べたらおいしかった。

ああよかった。

人はこれでは終わらない。

また次の日に山に行く。

またおいしい、よかった。

次は、袋を持って出かける。
家族にも友達にも食べさせてあげたいから、いっぱいもいでこよう。

愛や友情かもしれない。


そして、、もっとたくさんとって、里で売ったら儲かるだろう、、
となる。

この段階では、たくさんの人にその山にその果実があることがばれてしまっている。

取り合うように、果実を取りつくす。
自分の山だと主張して喧嘩しだす。

もう、

その山にその果実がなるまで、何百年という年つきがたっていることも、
その果実を食べて命を繋いでいる動物たちや鳥たちのことなんか、気がついていない。

そして、山をだめにしてしまう。

そして、、次の山を探しに行くわけだ。


こんなことをしてはいけないということは、
英知に長けた霊長類の人間様はわかっている。。

が、この行動は繰り返されている。

だけど、そこの何とかしようと動いている人間もいる。


破壊しようとする行動と、創造しようとする行動が
バランスよく同数であれば、
実は、調和なのかもしれない。

大胆な推論だ。


どうやら、破壊グループのほうが少々部員が多いようだ。

となれば、創造グループの部員を増やさなくてはいけない。
我々はそっち側の仕事をしよう、

そう決めたのがヒーリング関係者の立場なんだと思う。


2009年12月29日
年末です。

今年は、いかがだったでしょうか?

今年学んだことは、、、

理解させようとしても、理解しようとしてもいけない。

でした。

国際的なさまざまな国のお付き合い、
その中で感じたことです。

そして、起こるぶつかり合い、
それが起こるときには、必ず、
何か

「ずるいこと」

があることも実感しました。


例えば、自分だけやすく欲しい、
何かの力を借りて自分の力ではなく自分にメリットが欲しい、

それも、「ずるい」となります。

ずるいことと、ずるいことが、共鳴するととたんに強い交流が生まれます。

時代劇の、、

おぬしも悪よの~~

お代官様こそ、、、

ふぁっ、ふぁっ、ふぁっ、、、ってやつです。


ずるいこと、

これは、自分が低いエネルギーを与え、大きいエネルギーを得ようとすることです。

その、なんとも難しいことは、長期持続が当然できずに破綻します。

これが、揉め事です。


そして、もうひとつの難しいことは、

考え方も育ちも違うもの同士が、
繋がり、等価エネルギーの交換作業を開始すること。

異質のエネルギーを交換し合うなんて、そんな馬鹿なこと、なかなか出来るはずがありません。

ただ、、お互いがお互いのエネルギーをうまく変換して、交流が始まると調和です。

それが、どんどん活発化して交換サイクルや交換の為の量が増えて
交換パイプが太くなると、、

愛と呼ばれる、感謝が生まれます。

これ、むずかしい。。


その、異質のエネルギーは理解しようとしても、理解させようとしても困難。

してはいけない。


では、どうするか?

ほんの針一点でも、、必ず、必ず、、、
絶対に同種の響きあう何かが相互にあります。

それを見つけ出す作業です。

理解したり、理解させようとするのではなく、

その「宝探しゲーム」をすることです。

その、

一点の響きあうものを見つけたら、、
もう、しめたもの。

そこだけを互いに見つめるんです。

するとその一点がどんどんどんどん大きくなる。

そして、、

交換し合えるエネルギーが増えて、
交換パイプが建築される。

そう、こうやって行く。

そうすると調和のサイクルが生まれ、
愛が生まれ、感謝が生まれる。

ここへの、挑戦

その挑戦の人生の歩み方は、誠に有意義なような気がします。




2009年12月25日

人が人とぶつかるときは、

結局、なんらかの、、ずるいこと、、が互いに期待されている場合が多いように思う。

少ないエネルギーを使い、多くの見返りを欲しい、

という言い方でほとんどのずるさは、包括して言い換えることが出来るような気がする。


与えてただ待つ

ができる人はかっこいいと思う。

そうなりたいと努力している姿は、徳を積んでいる、、といえるのかもしれない。
2009年12月25日
 
若いころ、テニスコーチなんて職業が成り立つわけがない

とおもい、契約コーチはいいけど、社員としてやるのは、、なんて考えて、
その道はあきらめたりしていた。
あとから、、ああ、、職業として確立したんだな、、と驚いた。

そして、5年位前までは、なんだかんだで、テニスコーチをレッスン契約方式でしていた。

プロといえない、テニス指導者は市民コートにたくさんいるが、それも、とても大切なことだと思う。

英語の教員資格を持っていたが、
海外に住んだことないししゃべれないのに教員てのもな、、とおもったりしていたが、
しゃべれない人が英語教師になって何とかやっていたりして驚いた。


何とかなんでもなるものだ。


ヒーリングの仕事なんてありえへん、食べられるわけがない、と思っていたが立派に食べている人もたくさんいる。

石の仕事なんて、2億用意しなくちゃダメだといわれるが、
300万で何とかなった(笑)

なんとかなんでもなるものなのかもしれない。

2009年12月21日
恐怖と不安

これは、重要なメッセージであり、なおかつ、
気をつけなければいけない危険なものかもしれない。

良く効く薬ほど毒にもなりえる。

ということなのだろうか?


僕が、ヒーリングについて、施療について、
足掛け20年取り組んで、
その場を離れた理由、その現場を離れたのは、、

いや、はなれようとしてはなれたわけではなく、
何かに押し流されるようにこちらの石の世界に来たのは、

自分の中にあった大きい疑問のためではないかと思う。


大自然の中にみんなで行って
おいしい空気を吸ってゆったりすごしつつ、
ヒーリングワークをすると、
ほんとにみんなの表情はよくなり、
語る言葉も思いやりと愛情に満ちている。

同じことはセッションルームにおいてもいえる。
ヒーリングセッションをしている間は、素晴らしい心になっている。

しかし、ひとたび、実社会に戻ると
元の自分に帰ってしまう。

僕の中では、
日常の中に、思いやりや愛情が満ちていくことこそが一番大事ではないか?
という思いが強まっていった。

みんながハッピーになるのが一番いいよね、

誰もが同意することだ。

しかし、、

それは、人類の歴史の中でずっとずっと、
繰り返し目指してきたもので、、

そのために正義をかざして、血を流し続けてきた難しいテーマだ。


石の取引では、瞬時に大金が動く。。
石でもボトムラインぎりぎりのものがあるかどうかなんて、
宝石商が行ってくる我々の天然石の世界でも、
1000万がひとつの単位となっている。

これが大きいお金かどうかは、判断する人によって異論はあるにしても、
僕の常識では、大きい金額だと思う。

ただ、

そうなると、、

急に、穏やかな人が眼の色変わったりする。

きっと、そういった部分が嫌で、
ヒーラーたちがミネラルショーに来ないんだろう。。。

もちろん、商品供給の役目もになっている
ヒーラーさんは勇気を持って(笑)来てくれるんだけど。


お金のやり取りでもめる根源は、
互いに、なにか、
「うまいことしよう」
「相手を利用しよう」

という考えが起こったときである。

わかりやすく言えば、破格に安く仕入れられたら儲かるという欲と
安いと思わせて売りつけてしまえば金になると思う業者は、
協力に瞬時で繋がるが、やがて崩壊する。


お金は、お金であって、
なくなったらどうしようと恐怖するものでもないし、
たくさんあって浮き足立ってしまうものでもないんじゃないかと思う。

恐怖した場合も、浮かれてしまった場合も、
お金を失うことになる。

そして、また、恐怖する。。

となると、、経済の中での病気、
つまり、エネルギーが回らなくて、お金に苦しむ。

また、恐怖するから大変だ。


どうしたら、かかわるみんながハッピーになるだろう?
どうしたら、みんなが得をするだろう?

問屋も、販売店も、買ってくれるユーザーさんも、そして、僕らみたいな供給元も
あるいは、現地の工場や、鉱山の人も、、、

こいつはたいへんだ。

今いるあなたと私が得をする話を考えるのと訳が違う。

でも、ちょっと、考えてみれば、

あなたと私がいま石をにらんで商談をしてるが、

ここに石が来るまでにいろんな人の力を借りていて、
売ったあともいろんなことがあり、ユーザーさんの手元に行く。

そこからが、石が活躍する場だ。

ほんとうは。


業者同士で品物が動くことがゴールでは決してない。

そういったことまでも思いをめぐらし、
みんなが得をするにはどうしたらいいのだろう?

どうしたら、より良く役立ってくれるだろう?

と、必死の努力をすることは、

徳を積むことになる。

その、徳こそが、人の人生を輝かせるものではないだろうか?


石のビジネスの世界の話をしたが、
これは、全ての世界に当てはまる原理ではなかろうか?
2009年12月20日

絶対確実なことというのは、この世の中にあるのでしょうか?

絶対確実な安心した生活を、何らかの大きい力に守られて得たい、
と思うのは人の常かもしれませんが。

しかしながら、その空間に入ってみても、
実はさまざまな不安が起こる。

絶対確実ではない、そして、満足がない。

でも、まぁ、しょうがないじゃないか、、となる。

生きがいや安心は、どこを探したらあるのだろう?

自分の役割を探す旅路だとおもう。

自分が社会の役割を果たしていくことは、高い満足があるし、
役割に相当したものを当然エネルギー交換として受け取れば
もちろん、生きてもいける。


その旅路のなかで、

例えば、事業家とか、スポーツ選手とか、、そう、、芸能人もそうかもしれないけど、、
勝負が頻繁に起こる立場にいる人は少なくとも、、、

「運気」というものを信じている。

あるとしか思えないようなことが頻繁に起こると、

ある

と人は信じる。

科学的証明があっても、体験と実感がなければ人は信じない。

逆に、科学的な証明がなくても、体験と実感があれば人は信じる。

だからだろう。

こんなふうに今まで考えてみたこともなかったけど、

プラナ・・気をうまく扱うことを体感してもらいつつ、
自分でそれが出来るように指導していくエネルギーヒーリングは、
確かに、運気アップにもつながるんだし、そうならなければうそだ。

もちろん、クリスタルヒーリング、クリスタルのバイブレーションを活かしながら
気を高め、意識を高めるヒーリングもその仲間になるだろう。

そうみていくと、なかなか、ヒーリングも面白いものだと思う。
2009年12月19日
あの人は、良い人だというのと

あの人は、悪い人だという場合、

その違いはなんとなくわかると思う。


ただ、

あの人は、人がいいね

というのと、

あの人は、いい人だ。

の違いは、わかるだろうか??


ミネラルショーに何年か出展していると実にはっきりとそれが見える。


人がいい人はお金があまりなく、
商売にがめつい人はわかりやすくお金があったりする。

ここしか普通は見えない。

だから、惑う。

ただ、、、いい人は、お金もあるし楽しそうなわけだ。


ここなんだと思う。

大切なことは。

人がいい人は、自分が利益がなくてもお客さんが喜んでくれたらとやすく売る。

いい人は、適切な利益をのせて(決して法外に高くはせず)自分も利益を取り
お客様に心をのせたり、十分な説明をしたりして暖かく商品を渡す。

お客さんも、自分もハッピーである。

こういった状況を実現するのはさまざまな障壁があるが、
とことん、その実現のために努力をし続けているわけだ。

そんなひとは、

いい人だとおもう。

人がいいのは、簡単に出来る。
自己犠牲をするだけだから。

いい人になるには、頭も使わなくちゃいけないし、やり続ける信念もいる、
時に勇気もいる。

いい人になるのは大変だけど、

いい人になりたいと思う。

そこを目指す歩みの道は、学びだと思う。
2009年12月18日
ひとつの世界を作るのは、本当に大変かもしれない。

それを信じてやり続けること、なのかもしれない。

そうなると、自然に波動が同じものが寄り合い

何かの結果が生まれる。


そういったことをやれる人生は幸せだし、

その歩く道のり、一瞬一瞬をかみ締めることを幸せだというのかもしれない。
2009年12月17日
池袋ショーのニックネームで親しまれている

東京ミネラルショーが終わりました。

弊社は、例年のように出展いたしました。

たくさんの方にお寄りいただき、大変ありがとうございました。


ブースでは、各種ワンドのエネルギーの違いを感じてもらったり、
エネルギー的なことも
興味のあるお客様にはさせていただき、
それには、喜んでいただいたり、興味を持っていただいたり、
そういったことが、こちらも嬉しかったです。

そして、、多分、5年以上行ったことがなかった、カラオケ、
12日のニキルジェムズ親睦会の後に行ってきました。

大きい声を出すというのもたまにはいいものですね。


ミネラルショーというのは、たくさんの仲間と会える楽しい場でもありますが、
万引き、泥棒が出たり、
お金のためには何でもありの販売者がいたり、
あるいは、とにかく買い叩いて安く買えばいいというお客様がいたり、、

そういったことは、正直、苦しい気持ちになることもありました。

仲間と、何日も徹夜して作り出した商品や、
高齢の方や、障害を持っている方に内職を出すという、
3年前の目標のために作った商品も、良い結果が出てきたら、
コピーして三分の一の値段で売る人も出てきた。。。

こういったことはたまらないけれど、、

逆に、そういったことがあっても、
さらにより良いものを作り出すための
それがトレーニングだということと思い、

仲間たち、ヒーラーさんたちと、今まで以上にがんばろうと思いました。

ただ、、
あれこれ人を批判せずとも、、
お客様が、そして、社会が正しく評価をしていくので、

私たちには、批判をする役目はなく、
癒しと調和の実現のための努力だけが役目であると理解して、
歩いていくべきなんだろう、そう思います。

いろいろなエネルギーが渦巻く社会では、
いろいろ、こちらの意識やエネルギーをぐらつかせたり、曲げたりすることがあるかもしれないけど、

そういったことが起こるたび、修正をして元に戻るということを繰り返すと
さらにこちらは良い意識に向上していけるのだと思います。

なんとも、、面白いことが、
エネルギーヒーリングの中で自分が指導してきたことを
自分自身が社会の中で実現する機会を神様から授かったような気がします。

しかしながら、
いろいろなことがあると、仲間たちの助けが
身にしみてありがたく思う。

さぁ~~~っ、また、がんばろう。



2009年12月08日

古来から、常に常に、

幸せを求めるたびは続けられてきただろう。


何が幸せなのかもわからなくて求め歩く場合もあるだろう。


幸せとは、

社会の全てのものが生きていくためのエネルギーサイクルの中で
役割を果たしている実感ではないだろうか?


その役割の中で、、

少ない労力で大きいエネルギーを集める人を優秀だという考え方をする
現代では、、、
物が満たされているのに不幸な人が多いのもうなずける。


しっかり相当するエネルギーを使って
相当するエネルギーをもらう

エネルギー交換とバランスが
その、社会の中で幸せのための道の中でとても大切なような気がする。
2009年12月07日
ヒーリング音楽の会社から

新作のヒーリング音楽CDが送られてきた。

あ、いいじゃんこれ、虫の音とか、、

なんておもって、その音楽会社の社長に電話して、
また、飲みましょうよ、見たいな話をした。

何枚か少しまとめて買い取ろうかと思って、夜、、、

ぼんやりしていたら、、

あれ?

庭から普通に虫の音するじゃん、、

ということで、、買うのをやめた(笑)


音楽というのはすごいもので、

ロッキーのテーマをかければ燃えてくるし

癒しの音楽はほっとさせ、

ポップスはワクワクさせる。


逆に、、何も音楽をかけない状態
これもなんだか、、いいもので、、

ただ、周りに起こっている音、起こっていない音がする。

その中に自分をおいて、今あるそのままの今を感じるというのも良いものかと思った。


幼稚園に行っていたときの朝の音楽は、鰹節を削る規則正しい音でそれで目を覚ましていた。

僕だけだろうか?
時間のある午後に、飛行機の音がしたり、、スクーターの音が遠くにしたら、
何回やされる感じがするの。

いえ、、飛行機の遠くの音ですよ。
近くじゃたまんない。。


いろんな人の生活の音もなんだか、ほっとする。

いろんな人の顔や気持ちが見えてくる。
ただ、それだけなんだけど。


何かの目的で何か無理やり環境を作らなくても、
今そのまま目の前にある物そのままを感じてみると
意外といいものだったりする。


ただ、、3日に一度は、朝、大塚愛をかけている。。
2009年12月06日


亡くなった祖父に褒めてもらおうと
4年前に「長寿」という名前の朝顔を育て始めていた。

祖父が入院してから、祖父の作った庭園を壊して朝顔畑にしてしまった
罪悪感もあったかもしれないが、
病院に見事な花を「仕立て」をして持っていきたかった。

この花は、実に種がつかなくて、最初は保存していくことに困難さを感じ、
自分でオシベをむいて、花粉を取り出し、メシベにつけるという作業を
早朝に行っていた。



途中で、、花が咲く前に亡くなるのではないか、という予感がしていたが、
実際そうなってしまった。

彼が晩年一番喜んだことは、

役割をもらうことであった。

通所介護といって、
通う介護施設があるのだが、そこにいくと、
何らかの仕事を与えてもらえ、
人様のお役にことの年で立てることはありがたい、
と一番喜んでいた。

若いときは人を押しのけてでも
自分の手に入れようと戦う?
こともまた必要なことなのだろうけど、

人間の喜びの大元は、

社会の役割を自分が果たしていること、
つまり、自分の存在価値なのではないかと思うのである。


円高・デフレスパイラル、、、、、
厳しい時代が来ている。

安くするから買いませんか?
うちはもっと安いですよ?

どんどん、売る側も買う側もみんなで苦しくなっている。。

そういったなかで、、

破綻する商売、廃業する商売、、も起こってきている。

そうなるとあせり、、もう、何がなんだかわからなくなり、
心が乱れ人が変わっている場合もある。。


金を稼ぐために仕事をする。
なんのために何にどう使うかも決めていないでお金を追い、
お金のために仕事をするとなんとも、、大変な生き方になるように思う。

もっともっともっと、、餓鬼道に落ちたかのごとくなる。


自分の役割を探すたび
役割を全うする旅をすると満足感もあり、また、幸福感も生まれるのではないかと思う。


その役割を探し全うする旅路のそっとしたサポートが
私たちヒーリング界にいる役割であるのではないかと思う。

そして、それは、表に立って先導するようなものではなく、
縁の下の力持ちであり、普段は存在など人に気にも留められないし気づかれないような物であろう。


本当の癒しは、癒しが行われているなどということが気づかぬうちに起こり
そして、何かの結果を動かす。

何のせいかはわからないので、
「おかげさまで、ありがたいことです」

と日本人は言ってきた。

それは、素晴らしい文化だと思っている。


合理性や具体的な結果を早く出すことを求め
切り開いてきたパワフルな新しい国アメリカの経済のやり方が破綻した今、

もっと、合理的とかもっとすごくでは、、もう無理なわけで、、

日本の静かな心で「おかげさまで」の気持ちを取り戻してもいいのではないかと思う。

2009年12月05日
寒いとき、、どうしてたっけ?

と思ってしまう。

静岡は、、11月は、けっこう暖かく、

12月でも、トレーナー一枚でそのまま外に出たり日中は出来る。

本格的に寒いのは、、年が明けてからだろうか?


面白いのが、2月にでもなると、、ほんとはすごく寒いのだけど、

寒さになれてきているのもあるけど、
もうすぐ春だと思うから、あまり苦にならなかったりする。

3月は全然寒いのだけど、

おお、もうすぐ4月だと思っているから平気である。

4月になると、、おお~~春じゃ春じゃとおもって
桜が咲いたりするので暖かい気になったりするが、、

暖かくなるのは桜が散ってからなのだとおもう。



今の季節で一番嬉しいことは、、

幼少のころ、、寒い夕方暖かい家について、
温かいご飯が待っている、、あの喜びを思い出すことだろう。

あの感じはなんとも嬉しくほっとするものである。





2009年12月04日
なんというか、独自のルールがティオの中では出来上がっています。

決して食卓の上のものを食べてはならないが、
皿からこぼれ落ちて机に直接落ちている食べ物は、
前足で引き寄せられる範囲ならOK

さらに、特例として、
見ていない時なら何やってもOK

という、明確なルールがかってにあります(笑)

今日、楽しみにしていたハンバーグ、、一瞬の隙をつかれ
まさに2秒で全部食べられてしまった。。


まったく、、ひどい話です。
おかずがなくなりました。。

叱りました。
かなり厳しく。

許せない、、と思ったのですが、

そんなことがあったなどとは、
そぶりも見せず、

愛嬌振りまいて、尻尾を振ってなついてくると、、
結局許してしまう。。。

すごいことです。

厳しく叱られたこともまったく根に持っていない。

だから、即効仲良くなれてしまう。


インド人と愛犬ティオは、、、忘れる能力がある。
根に持たない能力がある。

すごいことです。

ただ違うのは、インド人は算数がすごく出来るけど、
ティオはあまり出来ないようだ。