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2008年1月
◆ゆるゆる日記はこちら♪:9
2008年01月27日
招福土窯竹炭の準備で大忙しのポルトハウスです。

ほんとうは、日本の古来の伝統技術、
土窯でやかれた希少なものなので
土窯っていうことばをいれたかったのですが、、

長すぎるから、、

「招福竹炭」となりました。


サイトも作りました。(若干建築中)
英語版のほうが記述が詳しいです。




通電竹炭といって電気が通るほど炭化度を高くした竹炭を
土窯をつかって、波動チャージしながら焼くと素晴しいものになることは古典的に走られていたのですが、、ほとんど失われているのが現状です。

ほんとに、偶然、その製法を守っている方との出会いがポルトハウスと竹炭のお付き合いの始まりです。

ヒーリングの本場、ヨーロッパではその精妙なエネルギーが理解してもらえるのははっきりしたのですが、、

まぁ、、中には勝手に波動測定器なんかにかけて、、エネルギー分析したフランス人もいましたが、、、それはいいとして、、

こういった中庸的な、なんといったらいいのだろう、、
植物と石のエネルギーを兼ね備えた日本の優秀なヒーリンググッズを世界に発信しています。


海外にもいいものがたくさんある、けど、日本にもいいものがたくさんあるんです!!

誇れるものが本当はたくさんあると思います。

当サイトの商品掲示はこちら です >>


展示会で使う飾り炭の準備も進行中。。。













昨日は、

娘の学校の学習発表会にいってきて、
その足で近在の幼稚園、小学校の子供たちが作った工作や絵が展示している展示場にいって見ました。

もう、小さい子供たちのいろんな姿を見ていると、、

彼らの夢あふれる未来が見えてきます。

もう、この頃のあふれ出ている才能、個性を感じます。

素晴しいですね。

この才能、大人になってこんなふうにこうなると、、こうなるなぁ~~、楽しみだ。

好奇心でわくわく動く気持ち、わすれるなよ!

そんな気持になり、また、自分を励ますものにもなります。

小学生はやがて、中学生になります。

そのとき、みな、一度は

人は何のために生きるのか?

にぶつかるようです。

子供だけど、、子供じゃない、、思春期を迎えるわけです。

この大切な時期を大人たちが、かまい過ぎず、かまわなさ過ぎず、いいバランスで守ってあげたいものです。


ある意味、中学生は、打算的なものがない分、深く深く考えたり、
エネルギーを爆発させてすごいことやっちゃったり、、いろいろです。

そして、、道を決める高校生になります。

なんとなく、、高校・大学で道ができるような気がしますが、

いくらだって道なんか変えられる。

どうも、、大人が恐怖で子供をコントロールする部分があり、
ここでちゃんと勉強していい学校に行かないと
将来は台無しになる、、と脅すから、、
そこで決めたレールで一生が決まると思い込んでしまうきらいがあるように個人的には思っています。


いい会社に就職できないよ、、いい学校に行かなくては。

そうおもっていた。

でも、、

同級生で、、確かに勉強はしないし、いい学校にもいかなかったから、いい会社には就職できなかったが、、

いい会社を作ったやつを知っています。

社長さんだ。

そんな道があるんです。


頭を固くしてマニュアルに縛られると、、才能が閉じる。

開くこと、
そして、、

小学生のときと同じ、

あのわくわくする好奇心で動くことが大人も大切だと思うんです。



2008年01月26日

ハンドボールの予選やり直しをきっかけに
宮崎選手がカッコイイということの後押しもあって、

ハンドボール盛り上がっているようですね。

あれ、高校の時の体育の授業のときにちょっとやったけど
実に面白かった。

中東の笛、、、いろいろ背景や理由はあるんだろうけど、、
露骨に不利な判定をされた、、
という前のストーリーも正義感に火をつけ、

応援する気持ちに力が入ると言うこともあるでしょう。

スポーツのよさは、同じルールの下
戦いあう美しさ、そこから勇気や元気を与えるところにもあるので、
良い形になって欲しいものです。


細木さんが番組を降りることが決まると、、なんでも、、
江原さんに非難が集中とか。。

放送する側は、、視聴率を撮ることが至上命令だから、、
いろいろと、犠牲にする部分もあるし、、
まぁ、、なかなか大変です。

ぼくは、スピリチュアルって言葉あまり使いませんが、

巷のスピリチュアルブームが起こった理由の一つとして、
現実の社会でなんともいえない悩みや
不満足や問題を抱えている人がたくさんいて、
生きているのが楽しくなく、
今ある場所の考えられる努力を繰り返しても結果が得られないと判断したから、
スピリチュアル、、奇跡、神秘に救いを求めていると言うこともあるのではないだろうか?

ぼくのやっている、レイキの場合は、
与えられた「今」の現実をよりよく生きるために
与えられた役目を淡々と行う、
そして、安らかな心で幸せに過ごすと言うもので、
エネルギーワークはそのための助けに過ぎないと言うものです。

だから、地味なんです。

でも、、現実社会が最高のヒーリングだと思います。
それがうまく回らないときの助けの一つがレイキなんだと思います。

現実逃避の逃げ込む場所ではなく
現実を優しく苦しまずに見つめ、正しく動きやすくするもの、と言う感じです。


ちょっと、、社説みたいになってしまいました。
2008年01月25日
年末に、いつもお世話になっている
ヤマト運輸さんから買ったアマリリスが咲いてきました。

水を一週間に一度あげるだけでこんなふうに咲いてくれるなんて、
すごい。。


昨日は、、さすがに、、

倒れました。

かたじけない。。

人には無理をするな、、頑張るなと言っていたのですが、、

アリゾナ州のツーソンに行くための準備が大詰め、、

寝ないで、、年末から仕事ばかり、、いや、、全く寝ないわけではないのですが、、

眠い、だるい、痛い、、疲れたを感じないようにしてやってきたのですが、、

昨日は、顔の左半分、、、あまりに痛くて、、もう、、無理ってことで、、

5時から寝ていました。。。

突然です。。


身体からのメッセージ、もう、休みなさい、ちょっと、一休みですよ、ということでくれるものを無視してはダメですよね。


まだまだ、、やる作業はあるのですが、、

招福竹炭サイト、とりあえず、、日本語版、完成。

今は、、英語版の作成に着手。
英語版は、説明も細かく丁寧にした。
いろんな国の人が見たときにわかりやすいように。。。

その後は、フランス語版です。。。

フランス語は言語上の特性で、、二倍以上の文章量になってしまうと言うところが、、ちょっと、、悩みですね。。

でも、ルイ14世のころは、ヨーロッパの共通語だったそうで、、

スペイン語圏、イタリア語圏の人でも容易に理解できるんだそうです。




荷物も、、出さなくては。。。

英語の説明書つくって、、価格や商品の整理も。。。


本業以外の仕事が、、どひゃどひゃあります。。

身体は、、突然の痛み、レイキで、突然復活。

しかし、、体からのメッセージを大切にして無理は絶対しないこと心に決めました。




It is never too late to become what you might have been.

なりたかった自分になるのに、遅すぎると言うことはない。

ジョージ・エリオット
英国の女流小説家 【1819~80】

2008年01月19日

明日は、ポルトハウスでペンデュラム教室をします。

いろいろな使い方がありますが、

基本の部分を把握するととても広がりがあるツールですので

ご参加の方は楽しみにしていてください。





さてさて、、

ここのところ、、

通電竹炭の海外向けサイト作りにおおあらわ。。

結構大変なものですね。。


また、出来たらリンクしようと思います。


人の縁というのは不思議なもの。

まさか、、海外に竹炭を紹介しに行くとは思ってもいなかった。。


特にこれをやろうとするわけでもなく、

大河の流れに沿って感謝してすごすしかないかな、、

と思う今日この頃です。


旧友が海にいって素敵な写真を撮って送ってくれました。

ぺたりと貼り付けておきます。

海、いいですよね~~♪





2008年01月15日
受験シーズンである。

僕の世代は、、かろうじて、、単語カードのようなものを使っていて、、
新しい勉強の機種として、色を塗ってソロファンを乗せるとその部分が隠れたりする新機種が出ていた。


猿が音楽を聴いているシーンが有名だった、、
ウォークマン、という、ポータブルタイプのラジカセが出た頃だ。

今はI-potなんてのが主流だろう。。
受験勉強にも使われているようだ。

昨日の日記じゃないえど、、
ぼくのころは、受験のための英語で使えない英語を勉強していたし、受験のための英語というのが存在していると信じられていて、受験のための英語をマスターすることがいい学校に進むために重要だと考えていた。

デル単って、、いまでもあるんだろうか?
試験に出る英単語、重視試験を分析してそこでよく使われる英単語を集めたという本である。

はやったなぁ~~。

しかしながら、、、それ、、仕事で英語を使う際にも役立っているけど。。。

今の若者は、英語のリスニングの練習、、アイポット使ったりしているそうで、、

今の若者、、使える英語を勉強しているのかも。。
学校にも外国人講師、、中学に常勤しているんだもんな。。

あなどれない。。。

パソコンも小学校でもう使っている。。

ぼくは、、この数年だ。。。

勝てるはずがない(笑)

すでに、、

ぼくは、、娘たちに、、色々教わっている。

ばぶ~~~っていっていたやつらに(笑)

時間のたつのは早いものだ。

あの頃、僕の青春時代は、、芸能人で言えば、、
たのきんトリオだった。。。

松田聖子の全盛時代。

のりぴ~が、、

まんもすうれぴぃ~~といっていた頃だ。

僕の世代は、、

「新人類」という言葉で当時言われた。
若者たち、つまり僕たちはそういわれた。

新しい種族で何考えてんのかわかんないみたいに言われて、、
さめている、、、見たいにも言われたと思う。


「新人類」

1984年、マーケティング情報誌の『アクロス』(パルコ刊)が最初に提唱している。

また、筑紫哲也が『朝日ジャーナル』編集長を務めていた時(1984年~1987年)、10-20代の若者たちとの対談を通じて、彼らの気分・思想・哲学・時代の気分を探ろう、表し出そうと試みた企画があったが、対談の内容やそこで使われた「新人類」という言葉にインパクトがあったため広まるようになる。1986年には新語・流行語大賞に選ばれた。


さめている、、、、

そんな若者の始まりだった。

そして、、

フリーターなんてのもだんだん登場した。

僕らの世代は、フリーターになる勇気はなかった。。

次は、、、ニートが登場した。。


これ、、、ぼくらの、、つまり新人類時代は、、

何割かは気がついていると思う。

ぼくらは、、さめていた。

燃えるものが社会に見つからなかった。

生きる意味、燃えるものの探求を中年になって、明確に意識して始めている人も少なくないと思う。

社会は改善されなかったから、、

フリーター・・・ばからしいぜ、こんな会社はいりたくないよ。

というもっと症状が進んだ形が現れた。


そして、、ニート。。。

固まってしまった。


これは、、あくまで僕の私見、、であり、ちゃんとした調査やデータ集めなどしていないから、、正確かどうかよくわからないけど、、感じる。。


昭和40年生まれ前後のその新人類世代は、、

いま、会社や、市役所や、、いろんな場所で、、管理職の立場になっていたり、
社長となっている人も多い。

核となる立場いにいるから、、

価値ある生き方ができる場所を作る作業をする役目かもしれない。。


あと、、、じつは、、その時の、、すごい戦力、、

実は、、あほらしいと思った社会に飛び込めず、、
いろんな仕事を点々とした
フリーターじゃないかと思っている。

普通に就職してしまえば、決まりを守り言うことを聞いていれば、
いや、、聞いているふりをしていれば、安定した生活が保障される。

それわかっていて、、フリーターという立場になったなんて、、すごいとおもう。

僕の世代はその勇気はなかった。。

いや、、ぼくには、、かな。。。

で、、会社や役所の組織で部下のいうこときかすのは楽ではある。

首にするぞ、査定悪くするぞ、飛ばすぞ、という文句を使う。。。

でも、、フリーターとして、、30歳は、管理者になっていると思う。

高校生や、バイト暮らしの人を使いきるって難しいと思う。。

言うこと聞かないと思う、、、簡単には。
納得しないことは聞かない。

そして、、その納得のルールも自由に設定している。

そして、、いろんな仕事をどんどん変えるって言う柔軟性がある。
新しい仕事にすぐ適用する。

すごいとおもう。


フリーターたちが、、社会でなんかやり遂げるんじゃないか、、とおもう。。

自分で考えて、自分で判断して、、自分で動けるフリーターは、、すごいことするようにおもう。

ポルトハウスの場合は、一流大学を出たエリートは社員として獲得はできないだろう。
相手にもされない。。。

が、、そう、、そんなフリーターと何かの縁があるような直感がする。

そいつら、、すごいことする、、と思う。。。


まぁ、、団塊の世代があまりに、、インパクトがあるからそっちの動きが有名だけど、、

社会に満足を明確に示さなかった新人類世代

中年になって生きる意味の探求を真剣に始めてるとおもう。

おみこしわっしょい、、おみこし担いだ振りしてぶらさがってるのが上手な生き方?だと思っていた世代。
しょうがないよね、、もう大人だもんと考えたりしていたけど、、

そう、、寄らば大樹の影、、なんていわれたもんね。。

でも、、いま、、彼らがおみこしを作り出しているわけだ。。。


どうか、、、若者たち、、この世代も暖かく見てください。

お互い、、がんばりましょうね♪





2008年01月14日
マトリックス、もう大分前の映画となってしまいました。

ぼくの好きな映画のうちの一つです。


2週間ほどアメリカ出張、、ということで、少しは英語勉強しなくては、
と思い、、若い頃から買ったはいいものの、ほったらかしていた物を引っ張り出してきて、

興味のあるもの、、を勉強している?

この映画の登場で「マトリックス」という言葉が人に知られるようになった。


SF映画「マトリックス」(1999年~2003年)では、「コンピューターが作り上げ、コントロールする仮想現実世界」のことをマトリックス(The Matrix)と呼んでいました。

マトリックスとはもともとは「母体・基盤・何かを生み出すもの」のことを示し、一般的には「数学の行列」のことを表すのだそうです。

なんというか、、よく知られていないコンピューター用語や専門用語を喜んで使うことがあります。

当時仕事の世界でも使う人がいました。
マトリックス図を作る、なんてかっこつけて言われても、、
サングラスとコート着てカンフーやることしか想像が僕にはできませんでした。。。

どうも、、体系的に整理することを表現していたようです。。


よくわからない言葉、、

このおちゃのこネットでも、、

「レビューを書く」ってありますが、、
これ、、書評、、とか、、だよな、、と思っていましたが、
IT用語だそうです。

同じ人間がプログラムをチェックするより、別の人間がチェックしたほうが誤りを発見しやすいのでそうしたことをするのを、レビューというそうです。
それが転じて、、自分以外の人の商品の感想を読むことでより商品を正確に把握しやすいってことで使うみたいです。

「お客様体験談」より、、かっこいいから、レビューっていうそうです。

みんな、、知ってるんですか??
こんなこと。。。。


あと、、FAQってよくあるじゃないですか?
これも、、僕は、先日まで知らなかった。。

「よくある質問」って書いたほうがわかりやすいと思うけど。。。

意味は

Frequently Asked Questionsで、、またも、、IT用語だそうです。。


さて、話は映画マトリックス。

僕が気に入っているのは二作目の
モーフィアスがザイオンで演説するシーン。

彼は、救世主ネオの起こす奇跡を信じている、そして、それに半生をささげている。

その彼が、ザイオンの危機、迫り来る機械の大群の急襲の前に
民衆の前で演説をする。


Believe me when I say we have a difficult time ahed of us.

いま困難のときを迎えようとしている。


But if we are to be prepared for it,we must first shed our fear of it.

それに備えるためにまずしなくてはいけないことは恐怖を弾き飛ばすことだ。
(shed っていうのは、水とかをはじくなんてときにも使う言葉で、そんなニュアンスがある)

I stand here before you now truthfully unafraid.

いま、わたしは本当に全く恐怖などない。

Why?

なぜか?

Because I believe something you do not?

わたしが人が信じない何かを信じているから?
(彼が救世主ネオが奇跡を起こしザイオンを救うという伝説のようなものを信じているのは有名で、でも、それは、誰もが信じているストーリーでは決してない。)

No!

ちがう。

I stand here without fear becaue I remember.

覚えているからだ。

I remember that I am here not because of the path that lies before me.

未来の道が導いてくれているのではなく、

But because of the path that lies behind me.

過去の道があって、ここにあることを覚えている。


で、、

まぁ、、

こんなせりふになる。

I remember that which matters most:

We are still here!




マトリックスという映画は色々な宗教や哲学の思想や要素がちりばめられている。

いろんな印象的なセリフがある。

「始まりがあるものは全て終わりがあるのよ、ネオ」
という預言者の言葉とか。。。


ただ、、

そう、このモーフィアスのセリフ、

印象的だった。

彼は、いや、彼の支えは救世主の伝説、奇跡だと思っていたわけだが、、

かれは、そうではないというわけだ。

そして、未来の道、つまり、未来がわかっていて安心しているわけではなく、

自分の歩んできた道、これが安心の根源であるということだ。


ザイオンの場合は、1世紀にも及ぶ機械との戦いがあったが、
俺たちは、まだ、ここに生きているぞ、

という話だったが、

ぼくたちも、、長年生き物としての危機は何度も何度も訪れて、、
でも、、命をつないできている。

その長い長い道がある。

その中で、、、適応して生きてきたのが僕らの命だ。


ふむ。


奇跡を信じているけども、、
something great は信じているけど、、

でも、、、

歩んできた道、これが、僕たちの全てだ。

まだ見ぬ未来を見ることで安心が得られるのではなく、

自分の歩んでいた尊い教えに満ちた自分だけの道、

この意味を正しく知ることで、今をよりよく生きることができる。




始まりのあることには終わりがある。

何かを得ることは同時に何かを失うことであり、
何かを失うことは同時に何かを得ることだ。


開放する、リラックスする。

そこで、、命を受けついてきた、、壮大な幸せに生きるための健康に生きるための英知が、そのメカニズムが稼動し始める。


いま、、どん底?
に見えたとして、
何かを失ってしまったと見えていたとしても、、

無理して強がることなんかない。
見ないようにすることはない。

終わりと始まりは同時に起こる。

落ち着いてそこを眺めてみる、

すると、、

希望に満ちた新しいドアが、、そこにあることに気がつく。

そのドアを開けてみて、中に入ってみようじゃないですか。


「終わりがあると新しいことも始まるのよ、ネオ」ということでしょうか。。




2008年01月12日
今日はポルトハウスの霊授会でした。

レイキを行う仲間が新年に集まり
この一年をレイキの教えに沿って
正しくすごそうと誓う場でもあります。

みなさんにとってよい一年でありますように♪



明日は、1段階のレイキセミナーです。

直前になってお申し込みがきて
にぎやかな人数になりました。


レイキ実践者は即座に見事な人格者になる、ということではありません。

ただ、自分の歩いてきた道を真正面から素直に見つめることができ、
そして、今歩いている道も素直に真正面から見つめ
そこから学びを得る生き方を選択した人たちということです。

それはすばらしい事だと思います。





2008年01月10日


愛犬ティオの消しゴムはんこを娘が作ってくれました。

実によく似ています。

こんなのが作れるんですね。

ちょっと、びっくりです。


色々忙しいのですが、、


日がたつのは早いものです。

ツーソンのミネラルショーの出展の準備に急に大忙しになりました。


ひょんなことから、、そんなこととなり、、

大きい川の流れがきたら、、
理由などわからなくても
ただその流れに逆らわず流されたほうがいいと考えてそうしました。


何事もあまり考えないほうがいい、

という考え方です。


2008年01月01日

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

お寺に行ったら
「禅の友」という冊子をいただきました。

その冒頭に道元禅師のことばが書いてありました。


今日存(ぞんず)れども、
明日と思ふことなかれ。
死に至りあやうきこと、
脚下に有り。



だからこそ、今日一日に感謝し
精一杯よりよく生きたいものです。

結果ではなく
過程が大事だと思います。

結果などあまり意味が本来ないと思います。
地位も財産も一瞬で失うものです。
また、財産、、
とりあえず、自分の土地、お金、車、、
ということになっていますが、
一体何年自分のものとしていられるでしょうか?
絶対に誰にも渡さないと叫んでみても、
ほんの数十年手元に置いて感じられるだけです。
人間そんなに生きられないですから。

そして、所有という概念は幻想で、
本来そんなものはないように思います。

ただ、
自分の前に通り過ぎる総量や質が変るだけ、
自分という人格のパイプを汚れないもの
太いものにすると、目の前に通るものは純粋なもので量が増える。

その、通るものが、、お金というエネルギーであれば、
金回りがいい、とその状態を言うのだと思います。

いろいろなエネルギーや思いの素敵な交流を感謝をもってしていく、
そのこと自体が大切だと思います。

そんなことで、結果という言葉を前提とするなら、
過程が大事でしょう、という言葉になったわけです。

その過程の歩み方。

どうも、人というのは、
ほっておくと、マイナスの側面に気をとらわれやすいようです。

そのため、物事のできるだけプラスの側面を見るように心がけると良いようです。

そうすると、ちょうど、
プラスとマイナスの量が同量になって等しくなるように思います。

その中庸がいいのだと思います。

また、人はどうしても、欲しい欲しいと思う癖があるようです。

もっともらいたい、もっと評価されるべきだ、もっと優しくされたい
など。

だから、、
もっとあげよう、もっと人を評価しよう、もっと人に優しくしよう、

そう心がけるくらいがちょうどバランスが良いのかもしれません。

そうすると、ちょうど与えるものともらうものが等しくなると思います。