2008年01月14日
マトリックス、もう大分前の映画となってしまいました。
ぼくの好きな映画のうちの一つです。
2週間ほどアメリカ出張、、ということで、少しは英語勉強しなくては、
と思い、、若い頃から買ったはいいものの、ほったらかしていた物を引っ張り出してきて、
興味のあるもの、、を勉強している?
この映画の登場で「マトリックス」という言葉が人に知られるようになった。
SF映画「マトリックス」(1999年~2003年)では、「コンピューターが作り上げ、コントロールする仮想現実世界」のことをマトリックス(The Matrix)と呼んでいました。
マトリックスとはもともとは「母体・基盤・何かを生み出すもの」のことを示し、一般的には「数学の行列」のことを表すのだそうです。
なんというか、、よく知られていないコンピューター用語や専門用語を喜んで使うことがあります。
当時仕事の世界でも使う人がいました。
マトリックス図を作る、なんてかっこつけて言われても、、
サングラスとコート着てカンフーやることしか想像が僕にはできませんでした。。。
どうも、、体系的に整理することを表現していたようです。。
よくわからない言葉、、
このおちゃのこネットでも、、
「レビューを書く」ってありますが、、
これ、、書評、、とか、、だよな、、と思っていましたが、
IT用語だそうです。
同じ人間がプログラムをチェックするより、別の人間がチェックしたほうが誤りを発見しやすいのでそうしたことをするのを、レビューというそうです。
それが転じて、、自分以外の人の商品の感想を読むことでより商品を正確に把握しやすいってことで使うみたいです。
「お客様体験談」より、、かっこいいから、レビューっていうそうです。
みんな、、知ってるんですか??
こんなこと。。。。
あと、、FAQってよくあるじゃないですか?
これも、、僕は、先日まで知らなかった。。
「よくある質問」って書いたほうがわかりやすいと思うけど。。。
意味は
Frequently Asked Questionsで、、またも、、IT用語だそうです。。
さて、話は映画マトリックス。
僕が気に入っているのは二作目の
モーフィアスがザイオンで演説するシーン。
彼は、救世主ネオの起こす奇跡を信じている、そして、それに半生をささげている。
その彼が、ザイオンの危機、迫り来る機械の大群の急襲の前に
民衆の前で演説をする。
Believe me when I say we have a difficult time ahed of us.
いま困難のときを迎えようとしている。
But if we are to be prepared for it,we must first shed our fear of it.
それに備えるためにまずしなくてはいけないことは恐怖を弾き飛ばすことだ。
(shed っていうのは、水とかをはじくなんてときにも使う言葉で、そんなニュアンスがある)
I stand here before you now truthfully unafraid.
いま、わたしは本当に全く恐怖などない。
Why?
なぜか?
Because I believe something you do not?
わたしが人が信じない何かを信じているから?
(彼が救世主ネオが奇跡を起こしザイオンを救うという伝説のようなものを信じているのは有名で、でも、それは、誰もが信じているストーリーでは決してない。)
No!
ちがう。
I stand here without fear becaue I remember.
覚えているからだ。
I remember that I am here not because of the path that lies before me.
未来の道が導いてくれているのではなく、
But because of the path that lies behind me.
過去の道があって、ここにあることを覚えている。
で、、
まぁ、、
こんなせりふになる。
I remember that which matters most:
We are still here!
マトリックスという映画は色々な宗教や哲学の思想や要素がちりばめられている。
いろんな印象的なセリフがある。
「始まりがあるものは全て終わりがあるのよ、ネオ」
という預言者の言葉とか。。。
ただ、、
そう、このモーフィアスのセリフ、
印象的だった。
彼は、いや、彼の支えは救世主の伝説、奇跡だと思っていたわけだが、、
かれは、そうではないというわけだ。
そして、未来の道、つまり、未来がわかっていて安心しているわけではなく、
自分の歩んできた道、これが安心の根源であるということだ。
ザイオンの場合は、1世紀にも及ぶ機械との戦いがあったが、
俺たちは、まだ、ここに生きているぞ、
という話だったが、
ぼくたちも、、長年生き物としての危機は何度も何度も訪れて、、
でも、、命をつないできている。
その長い長い道がある。
その中で、、、適応して生きてきたのが僕らの命だ。
ふむ。
奇跡を信じているけども、、
something great は信じているけど、、
でも、、、
歩んできた道、これが、僕たちの全てだ。
まだ見ぬ未来を見ることで安心が得られるのではなく、
自分の歩んでいた尊い教えに満ちた自分だけの道、
この意味を正しく知ることで、今をよりよく生きることができる。
始まりのあることには終わりがある。
何かを得ることは同時に何かを失うことであり、
何かを失うことは同時に何かを得ることだ。
開放する、リラックスする。
そこで、、命を受けついてきた、、壮大な幸せに生きるための健康に生きるための英知が、そのメカニズムが稼動し始める。
いま、、どん底?
に見えたとして、
何かを失ってしまったと見えていたとしても、、
無理して強がることなんかない。
見ないようにすることはない。
終わりと始まりは同時に起こる。
落ち着いてそこを眺めてみる、
すると、、
希望に満ちた新しいドアが、、そこにあることに気がつく。
そのドアを開けてみて、中に入ってみようじゃないですか。
「終わりがあると新しいことも始まるのよ、ネオ」ということでしょうか。。