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2007年8月
◆ゆるゆる日記はこちら♪:6
2007年08月31日
「青海松葉吹詰紫細切采咲牡丹(あおみるばふきつめむらさきほそぎりさいざきぼたん)」
という名前の変化朝顔が咲きました。

あんまりうれしくて
単なる個人的な趣味の写真を載せさせていただきます。。




この変化朝顔は、種を撒いて、この花が得られる確率は、、
実は、、

1.5625%なんです。

そりゃ、、そんな花が咲いたら嬉しい、、

ということをご理解いただいたうえで

取り乱し歓喜のあまり
朝の5時に1人で絶叫している僕をお許しいただきたい。


※3つの劣性遺伝子がホモの状態で全てそろわないとこの形態が出ないのです。
この花は種を付けないから、、
それらの劣勢遺伝子を隠し持った親株、、これを選別して種を残すわけです。。


昨日、もしかしらた、、これ、、あたりかも、、とおもってつぼみを眺めていたら、、あたりでした。

なぜなのか、、

今朝、、突然5時に目が覚めました。。

そして、、庭に出たら咲いていた。

あれ?

雨が降るかも、、とおもって取り込んだと同時に、、

まさにその瞬間に

待っていてくれたがごとく

ざぁ~~~~っと、激しい雨が降ってきた。

この雨に当たったら、、せっかくの花はぐちゃぐちゃでした。

危機一髪。


なんとなく、、身体や心が動いたときは、
ただそれに従う。

そうすると、、今回のようになんだか知らないけど、
絶妙にうまくいくということはあります。

感じること、素直に従うこと、大切だと思います。


師匠は僕にこう言いました。

すんでのところで危機一髪を回避すると、
何かに守られているなどと思うかもしれない。
そして、、ありがたい、と感謝するだろう。

例えば、、乗る飛行機を偶然1本遅らせたら、、、
墜落事故にあわなくてすんだとか。。
そんなケースだ。

しかし、

本当に守られている状態は、、
そんな危ういことすら一切起こらずに

つまり、

何も起こらない状態であると。

ただ、、何も起こらないと、、
感謝することを忘れがちであると。



飛行機墜落事故などという例は極端な例かもしれないが、、

ただ、実は、、普段は特に意識していないけど
当たり前のように普通にあるから気がつかないけど、

たくさんの幸せを僕たちは受けているかもしれないよね?

ちょっと、そこに目を向けて、感謝の心を持ってみてもいい。


レイキの道。。

これは、、

危うい1本橋をやっとのことで落っこちそうになりながらも
でも、無事に歩いて川を渡るのではなく、

何も考えずに、ただ楽しく安心して渡れる
そんな幅の広いしっかりした丈夫な橋を作って生きたいものです。

それが、安心立命の境地に繋がるものだろう。


教義五戒

今日だけは
怒るな
心配すな
感謝して
業に励め
人に親切に

朝夕合掌して心に念じ口に唱えよ





2007年08月25日
ポルトハウスは、三日間のポルト祭りに入った。

天然石・ソルトランプ・癒しグッズをたくさん並べて特売。

また、、夕方からは庭園で(ほんとは駐車場)バーベキューをしたりする。

かき氷もする。

カキ氷は伝統的な、、いわゆる、昔のカキ氷屋さんが使っていた伝統的な
カキ氷マッシーンを入手。

タンブル一カップ~~円なんてのはお子様に人気だ。

夜はみんなで花火をする。

準備にみんな大忙しだ。。

ぼくは、、サイモンとスーのワークを色々打ち込んだり、、
地元情報誌に出すための原稿などで、、

ただ、ただ、パソコンの前。

まいっちゃうよ。。。。。

そして、、しばし、、庭の朝顔たちに癒されたりして。。

朝顔じゃないみたいな花は、、変化朝顔です。。
一番上の朝顔は流星獅子牡丹とういう朝顔。
やけにかっこいい名前です。

  

さて、ポルト祭りの様子は、、またのちほど。。


というわけで、、はじまりました、、ポルト祭り。

レイキの交流会して、、店の前の駐車場でカキ氷して、バーベキューして、、
花火して、、












ヒーリンググッズの特売なんかもしました。






すいか割りをして、、、





これ、、焼津の魚がしシャツ





と、、、いろいろやってますが、、



ヒーリングプレイス・ポルトハウス

ちょっと、、やんちゃな、レイキのお店です。






そして、、、日が変わって

今日は、、、(8/26)

レイキアチューンメントの初伝(1st ディグリー)をしました。

講習の後は、、

レイキサークルの後




エネルギーワークをやりました。






アチューンメント直後は、

けろけろkeikoさん、ラベンダー色のオーラを放っていました。
みんな見えたかな?


ということで、、

レイキセミナーも終わり、、みんなで、、会場のホテルから戻り、、
お店でわいわいがやがや、、やっているところです。。




2007年08月16日
ある、、友人のレイキマスターがこんなことを言ってきた。

「私はそのままの自分を好きになることをテーマとしている」


とてもいいことだとおもった。

今の自分があることには、実に様々な理由がある。

実に様々なことの積み重ねのもとに今の自分がある。

その理由や意味がわかるものもあるし、わからないものもあるし、
わかろうとしないこともある。

それらをそのまま、ありのまま、受け入れることは大事なことだと思う。

親兄弟、友人からの影響、職業的な経験、遺伝子的なこと、
偶発的な出来事(本来は偶然ではないといわれるが)、
とにかく、、いろんなことが関わっている。

意味のわかるものも、わからないものもある。

それらをひっくるめて、、
好きになる。

光と影が表裏一体なのであれば、、丸ごと好きになる。
いや、、認めるということなのかもしれない。

良いとか悪いとか、、ではなく、、その状態が事実であることをただ認めて受け入れる。

それが大事なんだと思う。

調和的なのか、不調和なのかなんてことは大局的には神様じゃないとわからないのだし、、

(一見悪いことが起こっているようでも、、それがいいことに繋がるために必要なこともある。例えば、、のどが炎症で痛い、、これは、痛いこと自体は悪いことのようだが、、炎症は風邪の菌を殺菌するために起こっていて、、それが終われば、、風邪が治り体調がよくなる。となれば、、のどが痛いことは悪いこととはいえない。川が氾濫した。畑がめちゃくちゃだ。。でも、、川の氾濫で畑には肥沃な土壌が満たされた。翌年から作物が良く育った。となると、、川の氾濫は悪いこととはいえない。。)

つまり、、良いことなのか悪いことなのか、、調和的か不調和かを完全に判断しようすること自体に無理がある。そんなことわかるはずがない。


自分の思考、発言、行動、、それらには、、なんらかの理由がある。

それがなんであっても、そのまま、、認め、そして、、好きになる。

ただ、、それだけなのである。

あえて、、意味づけをしなくては、、やりずらいということであれば、
それらに、、良い意味づけをして生きたらいいということになる。

よい意味づけをしていきやすくする段階を過ぎたら、、
意味づけをしないという生き方に変化していくのだろう。

2007年08月14日
アブラゼミが最初に鳴きだし

次はクマゼミが鳴きだし

そして、、今日、ツクツクボウシが鳴き出した。

となると、、まだま暑いとはいえ、

夏の終わりが近づいたサインだ。





夏というのは、、

なんとも、子供時代を思い出す。

なぜなんだろう?

いろんな思いをめぐらせてみた。

そんなに時間がたってもいないようだが、、

娘と二人で食事に行き、ビールを頼んだら、

「グラスはおいくつですか?」

と店の人に聞かれた。。

「子供なのにビール飲むと思ったのかね〜?」

と娘にきくと

「いや、飲んでいい年齢だし」


あぁ、時間はたっているんだなぁ。


父が教員をしていて、
部活動なども一生懸命やっていたせいか

夏に家族でどこかに行くというと、、

必ず夏休みの終わりごろだった。

海に入ってくらげに刺されたりもした。
痛いというのに、、横泳ぎをマスターするまでは
父から海から上がらせてもらえなかった。

覚えないと海から上がれないから、、
必死に覚えた。

なんで、、そんなに横泳ぎに彼はこだわったんだろう。。

しかしながら、、海では便利かもしれない。
休みながら泳げる。。

いずれにしても、、横泳ぎをするたびに思い出す。

御前崎のプールで、、

プールから上がる父の頭を見てぼくにそっと母が言った。

「ほら、見てごらん。薄くなったよね。」

このシーンも忘れない。。

そして、、母が死ぬ数ヶ月前に、、やはり家族でいったのも海で、、夏の終わりだった。

民宿で朝、食事前に母がいきなり、海に行くと言いだした。

いかないか?と誘われたが、、ぼくはいい、と言い返したが、、

「最後だからいっしょにいったほうがいい」

と、

どこかから声がした。。

そして、妹とぼくと母で海に行った。

ただ、それだけなんだけど、、そのシーンは忘れられない。





海はいろんな人に連れて行ってもらった。

連れて行ってくれた人たちは、、みんな死んでしまった。

でも、海は同じように、海である。


何も変わっていないような気がする。

海の横のあのプールは塗装がはげていて、最新の大きいプールだったのが、、
古いつまらないプールになっていたが、やはりかわらない。





ただ、、母が何度かお土産でうなぎを買ってくれたお店に、、娘と行って30年ぶりにそこのうなぎを食べに行って、、ビールを頼んだら

「グラスはおいくつですか?」と聞かれるようになった。


42歳と22歳の組み合わせか。。

僕が20歳の頃、、ぼくが40歳になって娘といたら、、
援助交際に見られるんじゃないかなんておもったりしたけど、、

誰がどう見ても親子に見えるようだ。

娘はそれを嫌がるが、、父はそれが嬉しかったりする。

まぁ、、

そんな一日だった。









2007年08月13日





朝顔が咲きだした。
庭からあふれた朝顔は、道路に出して飾っている。
そんなことが気軽にできるというここは、、
やはり田舎なんだろう。

ありがたいことだ。

毎年毎年ずら〜〜っと道路に並べていると、
ご近所の方の目にも留まるようで
今年は、皆さんから話しかけられたり、
家の庭まで見に来てくれたりすることが多い。

それは、とても嬉しい。

となると、、あふれた大事じゃない朝顔を道路側にただ並べていたのだが、
いい花や色んな花を道路側にも並べたくなった。

散歩で通る方の目を楽しませること、
これは、僕にとって、朝顔の新しい楽しみになった。

※朝顔は、下剤として奈良時代に遣唐使のより日本に持ち込まれ
のちの江戸時代の朝顔ブームにより、様々な朝顔が作出された。
それが、日本の朝顔のルーツである。。。


◆団十郎





◆初霜





◆遠霞





◆青縮緬抱丸葉紫時雨絞台咲





◆黄握雨龍葉赤覆輪管弁流星獅子牡丹


2007年08月06日


今日は、娘と蝉の羽化の観察をしました。
懐中電灯をもって、羽化する寸前の幼虫を探すんです(笑)













殻が割れてから、、1時間くらいでこんなふうになります。





見上げると上にも。。
まだ白い蝉がうじゃうじゃいる光景はなんともすごい。。

しかし、、蚊に刺されながら、じっと羽化する光景を見ている家族もすごい。

こんなペースで蝉が羽化するなら、、
こりゃ朝うるさいはずだ。




家に戻ろうとすると、、、
いつものカマキリがいつもの朝顔のツルの上にいて
大きいなんという名前の蜘蛛かは知らないけど、、
それが玄関の前にいた。

意外と昆虫は、あちこち動き回っているようで、実は意外と同じ場所にいるように思う。
これは、実柱菜片言である。

植物栽培をしていると、やはり、虫たちの生態系を感じることが多い。

これが実は面白い。


朝顔栽培を熱心にしているのですが、、
朝顔畑の私が移動するための通路に女郎蜘蛛の巣ができると、ちょっと、僕は巣の隅を壊します。
すると翌日修復してある。

また、隅を壊すと翌日修復。

でも、もう一度くらい隅を壊すと、、もうそこにはいなくなる。

「ここ、やばいよ」ってことで、別の場所に引っ越すわけだ。

(ただ、くもの巣は最大の味方なので、、巣を壊してどっかに生かすのはあまり得策ではない。
蝶や蛾が卵を産むのをくもの巣は阻止してくれるわけだから。)


逆に、いつもそこにいる虫はそこで問題がないからいるのだと思う。
餌がうまく得られて居心地が良いわけだ。

毎日、、カマキリには、、お、またいたな、なんて挨拶する。
地面を動く大きい蜘蛛は、、苦手だから挨拶しない。。


虫はこうしている。

今、問題なく、うまくいっていたら
同じ場所にいて同じ方法論を繰り返す。

うまくいかなくなったら場合は
場所を変える。そして新たな方法論の構築である。

うまくいっているときは変えない。
うまくいかなくなったら変える。

これだけの話である。

人間はどうだろう?

うまくいきかけたら緊張して失敗したり
うまくいってないのに一切を変えずに同じことを繰り返して失敗したりする。

おもしろい。
なぜなんだろう??

となれば、、

たぶん、虫たちと同じことをしたらいいんだろう。


うまくいっているのなら一切変えずに繰り返す。
うまくいっていないのならその方法論を繰り返さずに、変える。


ありのまま、自然に力を抜いたら
きっと、そうなるのだろう。