2010年10月31日
ハロウィーンパーティで、いろんな国の人が、約30人くらい集まった。
ぼくはというと、、
あら、、この準備って大変だよな、、とか、あら、この片付けって壮絶だよな、、
と、そっちの方を考えてしまうわけです。。。
飛び交う言語は、
ヒンディー語、英語、ポルトガル語、フランス語、日本語、あたりであった。
そうしてみると、
結局、英語が便利だわな。。。
ぼくは、昼ごはんで、辛さに慣れなくてはならないトレーニングの一環で、
大量に辛しをいれて、まったく大量に入れて、
ついでに、ニンニクも大量に入れて食べたら、
ラーメンに入れて食べたら、
口は美味しかったのだが、、
内臓がやられたみたいで、、
パーティーもいつものように、食べ物食べないでお酒飲むもんだから、、
内臓が悲鳴をあげてしまった。。
サイガと、いつもの、スピリチュアルトークを楽しんだが、
彼から、幽体離脱の修行法の話を聞いた。
そういえば、小学生の頃、
魂だけ体から離して、いろいろ旅をするチベットの僧侶の本を見て、
あこがれた時期もあったっけ。
まぁ、そんな話をまたするとは思わなかったなぁ。
と、ハロウィンとは関係ない話をして盛り上がっていたりしたのであった。
あとは、サイガのはしゃいだおバカトークを楽しませてもらったかな。
ズボンが、、じゅぽ~~ん、って、フランス語からきているとは知らなかった。。
こんな話もサイガがしていた。
過去も未来もすべて見えてしまう少女がインドで生まれたことがあった
その町では
彼女を崇め、両親は誇らしく思った。
OSHOは
しかし
それは良くないことだといった
4人乗りの車に12人乗って走っていたら、車が壊れたり事故を起こす。
頭が人の処理できる能力を越えていると
少女をアシュラムに預けるように言ったが、両親は拒否した
むしろその能力を誇らしく感じ、町でたくさんの人が集まり崇拝するのを心地よく思っていた
やがて
不幸なことに
少女は気が来るってしまった
両親は急いでアシュラムにつれてきて
OSHOに助けを求めたが
もはや遅すぎ
やれることは何もないと
彼は言ったそうだ
未来は見えないからこそ幸せだと彼は、言う。
たしかに、そうかもしれないね。