2010年10月03日
静岡では、、秋祭りを過ぎると、不思議にとたんに冬に季節が向かう。
それまでは、はっきりいって、半そでで十分なのだが、
秋だ秋だというから、しょうがなく、長袖を着たりしている感じがある。
その、祭りの日までは、暑くてたまらない日も時折ある。
かつての、、40年前に田んぼを埋め立てて作られた
当時の新興住宅地に、両親が土地を買ってここに移り住んだ。
祖父母も一緒に。
当時は、そんなことだから、、ここは、若い夫婦と小さい子供だらけの
若い町であった。
その時の子供だらけのうちの、子供が、、そう、自分たちであった。
祭りといってもそんな新興住宅地には伝統もなく、、祭りで引き回す屋台もなかった。
夏の終わりくらいから、、地域では祭りの踊りの練習と太鼓の練習が始まる。
小学校では、そのせいで、、休み時間につい、、太鼓の調子で手が動いて、
太鼓をたたくしぐさをみんながしていたが、、僕にはそれはできなかった。
屋台もなければ当然太鼓もない。
祭りともなれば、人だらけの道路の中で、、
笛と太鼓でにぎやかな屋台の上に乗って、りりしく太鼓をたたく同級生がうらやましかった。
祭りに参加したいというのは、子供心に素直なもので、親戚の町の屋台を引きまわすのに、、参加させてもらったりもしたが、、踊りも太鼓もできないので、、みじめなものであった。
そして、そんなことはやめた。
大学生になったころ、、町に屋台ができた。
そして、、東京に住むことになる。
子供を連れて、この土地に戻ってきて、、
自分の子供たちが太鼓の練習に毎日言っている姿をみると、
なんとも、、積年の悔しさ、、今晴らされた、、(笑)のような気持ちで
実にうれしい。
ただ、、
その、子供の晴れ姿、、、は、残念ながら、、見れない。
祭りの日と、京都ミネラルショーの日が一致してしまうからだ。
この仕事をしていたら、、そう、、祭りには出れない。
三番目の子供が小学6年で、最後に屋台で太鼓をたたく年、、
ああ、、ぼくは、見れないで終わるんだなぁ。。。。
と、、つらいのだけれど、
お父さんはお父さんで、場所は違えど、、
京都ミネラルショーで、、祭りをやる。
そんなこともあって、、
とくに、、京都はお祭りモードに僕はなる。
そして、、
今年は、、その祭り気分の
ミネラルショーに大分たくさんの人間が巻き込まれているようだ。。。
あははは。。。
たのんますわぁ~~。