2007年09月14日
「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」
山本五十六(1884年 - 1943年)
(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、大日本帝国海軍の軍人。26、27代連合艦隊司令長官。位階勲等は元帥海軍大将・正三位・大勲位・功一級。
・明るく冗談好きで、部下・同僚からの信頼が非常に高かった。
・当時の欧米事情に詳しく、日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していた。
・航空機に早期から着目し、海軍航空隊設立に尽力した。
・日米開戦が開始されると「短期決戦・早期和平」という日米間に於ける国力の差を冷静に分析した現実的な作戦計画を実施しようとした。
・旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高く、敵であったアメリカ側からも山本五十六を賞賛する意見が多い。彼の教育者としての側面は現在でも高く評価され、彼の遺訓である「男の修行」は、警察予備隊、保安隊、そして海上自衛隊各教育隊の教育方針として引き継がれている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
こんなのもある
「実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。その若者が、こうして年を取ったまでだ。だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。 」
やって見せもせず、自分はやろうともせず、相手の理解のタイミングなどを待たずに突然一方的に言って、相手ができないとイライラ怒る
こんなことは人間、みなやった経験があるだろう。
いまどきの若い者はという苦言は、
古代の壁画の下にも書かれていたということも聞いたことがある(笑)
なるつもりはなかったが、、
このぼくもあれよあれよと、、
ミドルエイジ
なぜそう感じるか?
昔はおやじ~~とか、おぢさん、とか呼ばれたが、、
最近は
「お兄さん」と若者に呼ばれる。
なるほど、、、そゆことか。
おぢさんになったか。。
そんなわけで、若者の可能性を出していくという役目が僕の人生の中に加わってきた。
ヒーリングをしていると
若い頃の自分のような問題を持っている人にもよく出くわす。
プレイヤーであり、コーチであり、監督でありたい。
そんな希望がある。
生涯現役!
青春とは、心の若さを言うと松下幸之助はいった。
若者かどうかの証はチャレンジするかどうかである。
最近のチャレンジは、、
英語。。
もう、、日本語はなせない人と仕事することがヒーリング界にいると少なくないのでしょうがない。
おどおどしながらも必死に英語を使う僕は面白い。
ラジオ英会話のテキストを購入。
何気に、、英語科の教員免許高校2級中学1級というのを持っていたりするが、
しかし、なんで、、英文科に進んだかはわからない。
この、、ネットショップは、、
実にチャレンジング゙であった。
デジカメすら使えない僕がこれを作るのは実に大変だった。
まだまだ、、プロっぽくないけど、、
デジカメの画像縮小を覚えるのに、、一月かかったくらいですから、、
もう、、何度サイトをやめようかと思ったことか。
でも、、やっぱり、写真は自分でとりたい、、自分でやりたい、、
問題はあるけど、やはり、、作った人の気持ちの全てが現れるから、、
人に任せられない。。
とはいうものの、、店舗にある一体何割の商品の写真が載せられているだろうか?
たいへんだぁ~~~。
でも、、まぁ、、同じ思いのパートナーが現れたら、、分業するとか
任せるということはあるとおもう。
なんせ、、本業は、エネルギーワーク、ヒーラーだからだ。。
実店舗の店長候補も入社し、、
山本五十六の言葉が、、
とても大事かな、と、、今朝ふと思ったりした。
若者が育っていく姿を見ているのは実に愉快だ。
そして、、生涯現役を宣言するなら、、
「まだまだわけぇ~~もんには負けるわけにはいかない」
で、あり続けよう。
さぁ、、楽しい毎日の始まりだ。
あたぁ~~らしい朝が来た♪
きぼぉ~~の朝ぁ~~だ♪
今日はとても引用の多い日記でした。。。
ポルトハウスのスタッフが、、
かとさん、パソコン詳しいよね、すごいね、とやたらほめる理由が今ふとわかった。。
みんな、、面倒で大変だから、、きっとやりたくないんだ(爆笑)
詳しくもないのに、、やたらほめるのは変だと思っていたんだ。。