2009年05月26日
どうしても、、こだわっちゃうことってあると思う。
本来の手順なら、、種まき専用土、、に種をまいて、
小鉢に移植する。
種まき用土は種まきにはベストだが、、栄養が全くないから、移植するわけだ。
そのときに胚軸をみて、、正しい朝顔か、、交雑していないか?変化していないかをチェックする。
面白い変化をしそうなものは、別に育てる。。
種まきってのは、、バーミキュライトと川砂3mmを50%づつに混ぜたものがベスト
無菌だし、重さがあるから、、朝顔の種の皮を自然に取ってくれる。
そして、種のへそを下に向けて45度の角度でたねを2cmに埋めるとちょうどいい。
ただし、、移植のタイミングは、双葉が合掌しているとき、、ここ。。
ここをすぎると根が横に張ってしまい、移植のときにいためてしまう。
タイミングを合わせる、、という意味でも、、種に傷をつけて発芽時期を一定化させて
作業を楽にする。
ただし、、
そんなこたぁ~~、、仕事あると、、無理。
だから、、小鉢にいきなり、、種まき方式を開発。。
ただ、、みんなには大丈夫だといわれるんだけど、、
貴重な種、、取れにくい種、、
ダメにしたくないから、、
種の前後は、、バーミキュと川砂でサンドイッチして、、
その下や周りは、、培養に適した土にして、、
オルトランを少々混ぜて、、朝顔の赤ちゃんが、アブラムシにやられないようにする。
これが、、どうしても、、培養土にそのまま、、種まきできない、、こだわりだ。。
意外と失敗するのは、、
種まき用土の再利用をする人がいる。。アウトです。
種の皮についた、、カビ、、これが悪さをして、、
発芽失敗します。
大の大人が、、朝顔の発芽にこんなに気合を入れているわけなんか、、
今年初めて朝顔育てる小学一年生たちにゃわかりっこない。。。。
大人の朝顔。。。。(しらん)
江戸時代は、武士たちが育てた花。。
朝顔師と呼ばれた。。。
稀少なものは小判で取引されていたのだ。。。
もともとは、紺色一色の小さく咲く朝顔、
下剤として中国より遣唐使が輸入した。
つまり、漢方薬だった。
それが、、突然変異したのを育て保存し、、交配し、、
江戸時代からかかって今のいろんな朝顔がある。
こんなへんなことをするのは日本人くらいなんだそうだ。
種をまいて変なのが出たら、、外国人は廃棄するんだそうだ。
日本人は、、メンデル法発見前に、、経験的に遺伝子則を、、、知り、、というか、
知っていたとしか考えられないのだけど、、あれだけの保存が出来たのは、、
ま、、そんなことで、、今のさまざまな朝顔のほとんどのベースは、
江戸時代の朝顔ブームに支えられている。
戦時中は、、井戸の中に隠したそうだ。。
必死の保存。。
もちろん、、、絶種したものもある。
黄色い朝顔。。。。
なのである。
江戸時代には葉も花も黄色の朝顔があった。
そして、、なくなった。。
それ以来黄色を求める、、ことが続けられている。
黄色い朝顔は、、明治時代にまた、、出たようだ。。
明治29年に夏目漱石が、旧制五高教授時代に
「朝顔の黄なるが咲くと申しきぬ」と俳句を作っている。
朝顔では、、黄色と黒が夢の色だ。
最もそれに近いといわれているのが、、
黒は、、
黒王
黄色は、
右近
もちろん、、、まだまだ、、変えたいところはあり、、
みんなで交配してトライしている。
黒はもっと黒く、、ということだろう。。
現状だと、、濃い目の茶色?
という感じだ。
選別を繰り返しても、、う~~ん。難しいだろう。。
本質的に作り変えないと。。
それが難しいのか、、綺麗なせいなのか、、最近は黄色、、にもっぱら力が入れられているようだ。
右近の花びらを厚くしたら黄色が濃くなるんじゃないかとトライしている人もいる。
ぼくは、、すっかりそれはあきらめ、、
近隣種の見事な黄色、、つまり、、朝顔の親戚ですね、、
それによって、、
少しストレス発散している。
夢のたびをあきらめた僕をお許しください。
引退した暁には、、、、、いくぞ!!