2009年02月22日
自分は何のために一体生きているんだろう?
何で生まれてきたんだろう?
そんなことを、、大概、中学生くらいのときにみんな考えはじめるようだ。
僕もそうだった。
中学生時代に母が亡くなり、、
余計命の事を考えたかもしれない。
中学二年のときだった。
結局、散々何のために自分は生きるのか?
の理由を考えて、、中学の三年間、、
今すぐ死ぬ理由もみつからないからとりあえず生きていてもいいんじゃないか?
ということで、とりあえずはいったんその悩みをとりあえず片付け、
「未決」という箱にその宿題をほおりこんでおいたようにおもう。
さて、
この世の中で起こることには、全て意味がある、とする考えと
本来は実は意味などまったくないのだ、という考え方がある。
議論をすることは出来ても、
この世の全てのことを解明できない人間が議論するので、、
答えは結局のところでない。
論理的なディベートでやりこめて反論できないようにすることは出来ても。
わからないことはどうせわからない。。
と結論付けておいた上で、、
どうも、人間は「意味」があったほうが生きやすいようだ、という事実がある。
生きにくいより、生きやすいほうが良い、ので、、
そうなれば、
「意味づけ」をしていけばいいと思う。
その場合、良い意味づけをしていくといい。
良い意味づけをしていくと、、
本当に、良い意味が生まれてしまうっていう面白い現象が起こる。
この意味は、~~ですよ、
とどんな偉い学者さんに言われても、宗教家に言われても、
親に言われても、恋人に言われても、恩師に言われても、
人に言われたことは、どうも信じられないものだ。
でも、、
自分の内側から沸きあがったこと、
ああ、これは、こんな意味なんだ、と浮かび上がったことは信じられてしまうのが人間だ。
とりあえず、「良い意味づけ」をしてすごす、
そして、、なんだか、、良い感じになってきて、
「おお、こういった良い意味があったんだぁ~~~~ぁ~~」
と浮かび上がってくる。
そうなるとなんだか、幸せで楽しくて、、いろいろうまく言っちゃう。。
こんな生き方もある。
やめて、、でも・だって・攻撃、、、やめて、、
この技は、言い訳や明確な証拠を作り出すと、、
とたんにマジックはさめてしまうんです。
きっかけはマジック、、、でも、、起こっちゃったら、、事実。。
こういう話なんです。