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誰の手が、、
2009年02月05日

誰の手が一番気持ちいいのか、、やはり、

ティオは知っていて、、

ぼくは、、レイキ係りとなっている。


彼女は、いえ、メス犬なんで、、

彼女は、ただしっている。

理屈なんかはわからない、、ただ、感じているわけだ。


近代社会に生きる人間は、
ただ、そのまま、感じる、、がどうも苦手になっている。


論理的思考、、これは、
すばらしいものを作り上げてきた、、近代社会の科学の発展はそれがなければ絶対に実現しなかっただろう。

ただ、論理思考、、も、諸刃の剣である。

論理操作で、、あたかも真実のような正当性をもって、、
自分のわがままや自分勝手やいいわけを、見事に正しいかのように説明をすることも出来る。

ただ、それを、、また、論理的に非難しても意味がない。

もし、それをしている人は、、天がレッスンをくれる。
心を苦しくして、、気づきを促すわけだ。

ぼくらは、神様ではないので、人を本来裁くことは出来ない。
天に任せればいい。


パキスタンでは、、、

悪いことをしてはいけない、、と親に教えられるが、、
何か悪いことを、、口にすること自体だめだと親が教えるそうだ。
非難したり、要求したり、、批判することそのものがもう、、
悪いこと、、に足を突っ込み知らないうちに、、、そちらの影響を受けるというのだ。

これは、おもしろいとおもった。


感じると、、本当にシンプル。

嫌われる人は、、嫌われるようなことをしている。
好かれる人は好かれるようなことをしている。

人から何かをして欲しいなら、、自分がそれをすると相手もしてくれる。
相手がしてくれたら自分もしようと、疑心暗鬼で様子見をすると、、
相手も疑心暗鬼でこちらを見る。

社会は自分の心を映し出す鏡だ。

Aさんが、あの人、、いい人だよね~~
というひとが、
Bさんにとっては、あいつは嫌なやつだ、、という人になったりする。

これ、よ~~く、観察していると面白い。

あの人のことを、、

Aさんの前では、たしかに、、「あの人」は、まったくもって、じっさいに、、「いい人」なんだけど、、
Bさんの前では、、とたんに嫌なやつになっちゃう。。

そして、、

僕から見ると、、

Aさんはいい人で、、Bさんは、、、嫌なやつ、、(汗)だったりする。。


物事には、原則というものがある。
その原則としては、嫌なことされる人は自分も嫌なことをしている。

そして、原則には必ず、例外がある。

自分はまったく悪くもないのに、、嫌なことをされることもある。


前者のほうが確率としては圧倒的に高い。
だからこそ、、原則、と呼ばれるわけだ。

なのに、、後者のほうに自分はいる、、と主張する人は圧倒的に多い。

なぜか?

原則とあまりにかけ離れた生き方をすると、、なんとも、、
不調和なことが自分や周りに起こる、、、
天かくれたレッスンである。

不調和が起こったら、、もしかしたら、、レッスンかもしれないので、、ありがたくまず、、
眺めてみるといいと思う。


言い訳しないで感じる。。。

感じるといい。

感じたら、、それに評価を与えたらダメだ。

ただ、感じる。感じる。

感じる範囲をどんどん広めてみる、、、きっともう、、何かすばらしいことが起こり始めていると思いますよ。