2009年01月23日
実は、、
意外と中学生くらいになると、かなりいろいろ考えている。
僕たちからみると、、まったく子供にしか見えないけど、、
下手をしたら、、あきらめきって打算的に生きている大人なんかにくらべたら
遥かに、遥かに、、考えているかもしれない。
そして、、理想に世の中がまったく反した動きをしていたり、
かといって、、自分がなにもできないし、、、
頼りの綱の親、、が、、頼りなく情けなく見えたら、、
悩むのかもしれない。
なんで、、中学生の人たちが結構考えているっていえるかというと、、
僕な自分が中学生だったころを覚えているからだ。
友人がいない僕に見かねて、親は、とにかく、、スポーツをやらせようとした、、
そして、、やった。。
ぼくは、、試合が嫌いだった。
みんなで勝とう!なんて、張り切っているけれど、、
僕には理解できなかった。
僕たちが勝つ、ということは、、同時に悲しむ敗者が必要となる。
他社の悲しみを前提としたうえでの勝利の喜びなんかはいらない。
僕はそう思っていた。
サッカーの試合も僕はやる気がないと怒られた。
水泳も、、テニスも、、、、
もっとやり気出せ、、後悔がないようプレイしろ、といわれても、、
その理由で、、乗り気になれなかった。
テニスは、、二人で、、何球続くかラリーするのは、楽しいし、いいラリーをするために、ネットの向こうの人と協力するのは楽しかったが、
どうやったら、相手が失敗するか、、相手の失敗を祈りながらやるプレイは好きではなかった。。。
なんで、、いちいち、、戦わなくちゃいけないんだ?
それが僕の中学時代から、、ずっと続いた疑問であった。
だれも、、その答えをくれなかった。
普通、そんなこと考えないよ。
なんて、、答えが来た。。
社会に出てもそうだった。。
ライバル会社と競い合って勝って、受注を奪い取れ、
ということだ。。
相手の会社の営業マンだって家族はいるし、、お金が欲しい。。
相手は注文が来なくなったら、、困るだろう。。。
スポーツのときと同じ悩みが発生した。
みんなで、、作物なんか作ったりするほうがいい、、農業とかがいいなんて思っても、、
それも、、市場という競争の舞台が待っている。。
競争のない場所にいきたいと思っても、、なかなか、、ないわけだ。
ある協会の代表の方が、
勝つことそのものに本当は価値があるのではない。
何とかして勝ってやる、そうおもって、必死に努力するその過程にこそ一番の価値がある。
と、昇段昇級試合の前に言った。
わからなかった。
今からやる試合に勝たなきゃ、、意味がないじゃないか、、社会も結果しか見ないじゃないか、、
聞いたら気持ちがいい、美しい言葉にしか過ぎないと思った。
それから、、10年がたち、、
いまは、、
その言葉が、、僕には違うように思う。
違うように響く。
スピリチュアルリズムの思想、これに当てはめたら、、なんでも、、簡単に調和的な答えに導かれる。
エネルギーワークで、、エネルギー単体で感じ、経験したことと同じ。。
基本はこうだ。
魂を磨くために、、この世に来た。
そして、、出会うこと、出会う人たちは、、その魂を磨くための、、
研磨しあう、、カンナやサンドペーパーで余分なゴミを削り取るためにいる。
ぶつかり合い、、励ましあい、、ときに競い合い、、
そうやってぶつかり合って魂を磨きあう、
その大切な相手だから、、その出会いに感謝して、
武道は、、礼をもってはじまるのではないだろうか?
そして、、必死にぶつかり合ったら、、そこから得た学びに感謝して、、
礼でおわる。
全てがこれなんだと理解したら、、すべて、、
そう、、生きる勇気も元気も出てこないだろうか?
いや、、実際、、、この原理は、、ほんと、、そうだと思っているんです。
ただ、、スピリチュアリズムを一切受け入れないという人生の選択もあるでしょう。
しかしながら、、今を幸せに生きたほうがいい、ということは、同意してもらえると思う。
その歩き方を、、僕たちは、、ヒーリング、天然石、ペンデュラムやワンドというツールを使う道を選んでいるだけで、、
どんな道やツールや理解をしても、、その幸せの道を歩くことは、、、、歩かないよりいいんじゃないかと思うわけです。
そして、、これを読んでいただいている方は、僕たちと同じような道の歩き方に興味を持ってくださっているということなんで、
タイミングがいいときに、、体験会でもいいし、ワークショップでもいいし、
ミネラルショーに遊びに来てもいいし、、まぁ、、気が向いたら、、いらしてください、ということなんです。